第1章 批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします

子供の自然な成長を止めるな(青字で書いている部分が本文からの引用です)
 「鶏卵を見て時を告ぐるを望む」ということわざがあります。すでに鶏になったのならコケコッコーと鳴きもしましょうが、まだピヨピヨとも鳴かない卵にそれを期待するのは無理です。ところがこんなことを平気で望む親がいます。
 
 幼い頃は皆自分本位です。むしろこの頃の利己主義は健全なものですが、彼らはこれがわからないのです。子供が完全でないといって、子供を批判します。自分に失望している部分があって、それを他人に見抜かれることを、彼らはひどく恐れています。だから自分の子供にそれを見せつけられると過度に批判してしまうのです。

 自分本位な行動から利己主義を昇華し、そして利他主義にめざめる、これが子供の自然な成長です。ところがそれを待てない親もいます。彼らは情緒的に未成熟なのです。

 彼らは現実を無視してその子供には高すぎる基準で、子供のすることなすことを批判します。しかしそれでは、子供に「失敗しなさい」と言っているのと同じです。



※ムチ全盛時代に子育てをしたきた者にとってはかなり耳の痛い部分があります。「自分本位な行動から利己主義を昇華し、そして利他主義にめざめる、これが子供の自然な成長です。ところがそれを待てない親もいます」。自然な成長を待てなくて組織の勧めるままに我武者羅にムチをしていたあの時代。「集会中に居眠った」「研究中にじっとしていなかった」と高すぎる基準で、子どものすることなすことを「ムチ」という形で批判していたあの時代。そのことにより心に深手を負った子ども達には、いくら詫びても詫び切れないものがあります。
  
 様々な人間関係の中でも、親子関係は特に大切ですね。すべての人間関係のスタートになるものですが、そのスタート地点で「ムチ」をするという方法を取らせていた組織の教えと、このアメリカインディアンの教え、どちらが受け入れやすいか個々の読者の皆さんの判断にお任せします。
子供を変える刺激
 どうすれば子供を変えられるでしょうか。心理学者の言葉に「ピグマリオン効果」というのがあります。ピグマリオンは、バーナード・ショウの戯曲「プグマリオン」からとっています。
 実は、私はこの作品を読んでいないのですが、要するに、さる大学教授が粗野な娘をしとやかな女性に変えていくという話であるようです。で、その方法というのが、粗野な娘をいつも淑女のように扱うというものでした。結果は、みごと粗野な娘は淑女に変わったということです。

 つまりピグマリン効果とは「人はそのように扱うとそのようになる」ということです。子供を変えられるとしたら、このような刺激によるのではないでしょうか。

 次にあげる実験は、その好例です。このことはマックギニスの本に出ています。
 それは、生徒の学業成績が振るわないのは、教師がそのように予測することによって影響されているのではないか?教師の期待や信頼が高まれば、それにつれて生徒の成績も上がるのではないか?という推測で、ハーバード大学教授ロバート・ローゼンサールとサンフランシスコの学校長レノア・ジェイコブソンが教室で行ったのです。

 幼稚園から5年生の子供に学習能力テストを行いました。次の学期に、新しくそれぞれ担任になった教師たちに、各クラス5,6人の生徒の名前を教え「この子供達は目ざましく伸びる子供達ですよ、テストで学習能力がずば抜けていることがわかったんです」と伝えておいたのです。

 このことは嘘でした。名前を教えた子供達が他の子供達に比べて伸びる可能性があるという根拠は何ひとつなかったのです。

 ところが学年末に再びテストをすると、驚くべき結果が出ました。教師たちに伝えたとおりになってしまったのです。名前を教えられた子供達の成績がすばらしく伸びたのです。前にも書いたとおり、子供達の能力差には明らかな違いがあったわけではありません。ただひとつの違い、それは名前を教えられた教師たちの態度だけです。推測はみごとに証明されました。


※この中で「ピグマリオン効果」という言葉が出てきます。教育心理学の世界ではよく目にする言葉ですが、「人はそのように扱うとそのようになる」。子どもにとっての「心地よい期待」(決して負担にならない過剰なものではなく)は大切だと思います。現役の頃に染み込んだ思想に決算をつけるためにさらに当てはめて考えて見ますが、現役の親は我が子に何を期待していたでしょうか。もちろん総てだとは言いませんが、大方の親は子どもの将来は高校を卒業して開拓奉仕者になる、そしていずれはベテル奉仕者や巡回監督などの組織の中のエリートとなる。女の子の場合は開拓者として必要の大きなところに出て奉仕することなどを期待していたのではないですか。

 あのころ子どもに将来の夢を語らせると「必要の大きなところに出る」とか「ベテル奉仕者になりたい」とか「将来の夢は巡回監督になります」と判で押したような答えしか返って来ませんでした。本当に心底そう思っているなら問題はないかもしれませんが、既にこの時点で親の過剰な期待が反映した答えしか出せない子どもになっているのです。

 「ピグマリオン効果」とは子どもにとって「心地よい期待」。親から信頼されている、親から愛されている、親から大切にされているという安心感の上に成り立つもので、子どもの意思を無視した押し付けの期待の上には成立し得ないのです。この点でもこの本は私の目を開かせてくれるのに役立ちました。
子供の話を聞く大切さ
ここにウェイトリーの詩を紹介します。批判ばかりする親にならぬようにおすすめします。

     「子供の話に耳を傾けよう」

きょう、少し
あなたの子供が言おうとしていることに耳を傾けよう。
きょう、聞いてあげよう、あなたがどんなに忙しくても。
さもないと、いつか子供はあなたの話を聞こうとしなくなる。

子供の悩みや要求を聞いてあげよう。
どんなに些細な勝利の話も、どんなにささやかな行いもほめてあげよう。
おしゃべりを我慢して聞き、いっしょに大笑いしてあげよう。

子供に何があったのか、何を求めているかを見つけてあげよう。
そして言ってあげよう、愛していると。毎晩毎晩。

叱ったあとは必ず抱きしめてやり、
「大丈夫だ」と言ってやろう。

子供の悪い点ばかりあげつらっていると、そうなってほしくないような人間になってしまう。
だが、同じ家族の一員なのが誇らしいと言ってやれば、
子供は自分が成功者だと思って育つ。

きょう、少し
あなたの子供が言おうとしていることに耳を傾けよう。

きょう、聞いてあげよう、あなたがどんなに忙しくても。
そうすれば、子供もあなたの話を聞きに戻ってくるだろう。


※とても素晴らしい詩ですね。
 JWであったかなかったか、そんなことは関係なく、このように子どもと接したいですね。
毎晩・毎晩、抱き締めてあげる。そして「愛してるよ」と言ってあげる。
親と子の間に、組織の教えも聖書の教えも、そんな理屈は必要ないと思います。
ただ、ダイレクトに親と子が向き合い、抱き合い、皮膚と優しい言葉でもって何の飾り気もない素直な愛情表現をする。これが親子の太い絆となるのではないでしょうか。子どもがまだ幼くても、母親の柔らかくて温かい感触、そして父親のごわごわした逞しくも頼りがいのある感触。そして何でも話を聞いてもらえ、家族の一員として誇りに思われている安心感、このようにして子どもは自己肯定感を育んでいくと思うのです。

 幼年時代・少年時代の楽しい思い出は生涯の財産になりますが、反対にその時代の悲しみは生涯の負債にもなりかねませんね。もし今、聖書研究をされている方がこれをお読みなら、ほんとうにあなたの選択はお子さんにとっても楽しい思い出としての財産になりうるか、それとも一生負いきれないような負債を与えてしまうものか、今一度よく考えていただきたいと思うのです。
子どもの目線で見える風景
 このウェイトリーが書いた「子どもの話に耳を傾けよう」の詩は「アメリカインディアンの教え」に引用されているものですが、ウェイトリー自身が書いた別の本から、もう一つ引用したいお話があります。

 ある母親がクリスマスの日に、5歳の子供を連れてブロードウェイに買い物に行った時の話です。

 「街には、クリスマスソングが流れ、ウィンドウは豪華に飾り付けられて、サンタクロースが街角で踊る。店頭には玩具もたくさん並べられていて、5歳の男の子は目を輝かせて喜ぶにちがいないと母親は思った。ところが案に相違して息子は母親のコートにすがりつき、シクシクと泣き出した。

『どうしたの。泣いてばかりいるとサンタさんは来てくれませんよ』

『あら、靴のひもがほどけていたのね』

 母親は、歩道にひざまずいて、息子のひもを結び直してやりながら、何気なく眼を上げた。何もないのだ。美しいイルミネーションも、ショウウィンドーもプレゼントも、楽しいテーブルの飾り付けも。何もかも高すぎて見えない。眼に入ってくるのは、太い足とヒップが、押し合い、突き当たりながら過ぎていく通路だけだった。」   ウェイトリー著:『成功の心理学』から。


※親の視線だけで子どもの手を引っ張ってどんどん歩いていくのではなくて、たまには子どもと同じ視線に立って、子どもが何を見ているのか、何を考えているのか、確かめることも必要でしょう。特にエホバの証人の親達にとっては…。

ビクトル・ユゴーも「人生で最高の幸せは、愛されているという確信です」(The supreme happiness of life is the conviction that we are loved.)という言葉を残しています。

 「愛する」の「愛」は「心を受け入れる」、「心を受け止める」と書きますね。「愛」の本質的な意味がここにあるように思います。
 …子どもの気持ちが本当に理解できる親になるために…。



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