あるJW二世の半生

拝啓。

初めまして。私は、**県内に在住しております今年3*歳になる元二世の長谷川と申します。

読者の方々のお便りを拝読し、遠く遠くに・心の奥に奥深くに封印してきた筈の自身の過去
が、あたかも昨日の出来事の様に、そして走馬燈の如く記憶が蘇ります。

母が教団へ入信したのは、確か私が2歳乃至3歳の頃であったと思います。その後、父が75
年に入信致しました。確か、私が小学校へ入学する頃であったと思います。

幼少の記憶の中に、父がバプテスマを受ける姿を妹と共に眺めていた事を憶えています。

当時は、75年の件があった為、私と妹は幼稚園に行かず、ひたすら母と共に奉仕していた事
を思い出します。〜或る夏の暑い日、奉仕中に妹が熱射病で倒れた事もありました。

皆様方のご指摘の通り、児童虐待は日常茶飯事の当たり前の出来事でした。〜集会に行って
も、大会に行っても、他の信者の家で遊んでても、至る所で子供達の泣き叫ぶ声がこだまして
いました。

残念ながら、私の母も彼らと同じでした。父からは、一度も鞭を受けたことは無いのでが、、。
「グレートマザー」という言葉からは、余りにもかけ離れた・比較することさえ出来ない鬼畜の姿
です。もし仮に、エジソンの母親が、教団の信者であったならば、きっとエジソンの名前は歴史
に刻まれなかったかと思われます。

社会的弱者を守るのが、親や家族の義務であり、同じく法律も社会的弱者を救済しています。
しかし、教団内部の現実は大変悲しく酷いモノです。〜多くの母親達は、教団の訳の解らぬ
「ハルマゲドン・楽園スタンダード」に洗脳され、本来ならば守るべき弱者達(老いた肉親を含
め。)を守らず、信者でないが為に肉親を罵り、、、。〜「愛」の欠片すらありません。

高等教育に関し、確か私の記憶では、70年代の頃は模範的生徒で且つ勉強が出来る事が証
言に繋がるから、学業が優秀で進学する事を奨励してた様な気がします。

80年代に入ってから、大学は不道徳等に接触する危険性が大変高い為、「大学進学イコール
喫煙・不道徳イコールこの世の悪い交わりイコール神の民から外れる」という方程式で、若い
時を有意義に過ごす為には、進学をせずひたすら奉仕するようにと、教団の方針が変わったと
思います。

何れにしても、日本国民ならば憲法で保障されている「職業選択の自由・人権尊重」等々、教
団はことごとく蹂躙してきました。

さて、中学に入った私は、幼少期からの反動で母に対し家庭内暴力を振るう様になってしまい
ました。

そして、高校に進学しました。私が進学した高校は、信者が過去に誰も在籍したことが無く、私
学で文武両道をモットーにした学校でした。(何故か、公立高校を滑ってしまった為。)その為、
柔道の授業拒否は認められず、単位取得の為、受けざるを得ない状況となりました。〜父が、
校長へ再三再四にわたり宗教上の主旨を説明に行きましたが、残念ながら聞き届けられず、
私は留年ギリギリの状態となりました。
父は、私に「これは、良心の問題だから、柔道の授業を受けなさい。もし、授業を受けずに留
年することになれば、大学検定試験を受けて大学へ行く方法もあるから。」と、言いました。元
来、私は学校生活に馴染めず、ちょっと登校拒否的なところがあった為、〜これが、原因で公
立高校が不合格になってしまったと思われます。

そして、高校1年の秋頃より、私は柔道の授業を受け始めました。〜何故か良心の呵責や罪
悪感や周囲の目を感じ、以降集会等には一切行かなくなりました。〜高校1年の冬の出来事
です。

高校2年になり、私は本格的な登校拒否生徒になりました。すべてが馬鹿馬鹿しく思え、、。〜
だって、私は滅ぼされるのだから、、。学校生活にも、うんざりし、、、。

もう、いいやっ!!!なにもかも、聞きたくないっ!!!もう、すべてがウンザリだっ!!!

高校2年の6月、父が突然仕事を辞めました。それは、父が家庭内の事を心配して、、、、宗教
を全時間したく、、、、しての決断でした。〜〜〜〜私の目の前は、真っ暗になりました。「あ
あ!!もう、大学へ行く事は出来なくなってしまった、、、。」「もう、勉強なんてしても無意味
だ!!!」「俺の可能性は、すべて失ってしまった!!!!」〜本来ならば、父の決断を尊重
せねばなりません。
しかし、当時16歳であった私には、悲しいことに現実を受け入れる力・許容範囲などありませ
んでした。〜後日、私が社会人になって初めて、当時の私自身が如何に愚かな・世間知らずな
人間であったかを思い知ります。

しかし、当時の私には到底受け入れる事は出来ず、本格的な登校拒否に陥ります。一切、人
と喋らず、笑わず、厭世的にしか物事を見ることが出来ず、勉強をせず、毎日自宅で好きな音
楽鑑賞・映画鑑賞・読書だけをし、生きる夢も希望も無く、倦怠にまみれた日々、毎日無意味
に時間だけが過ぎてゆく空虚な日々、現実から逃避し自身の空想の中でしか生きることの出
来ぬ日々、、、、。

高校3年になれば、周りは大学への進学一色となります。気付けば、私の学力はここまで落ち
たかと呆れるくらい低下していました。〜高校2年に進級する頃までの学力・実力がまるで嘘の
様です。〜高校1年生の頃は、担任の先生に「長谷川!毎日、学校に来いよ。君のこの成績
を維持すれば、上智ぐらいの推薦は受けられるから、。学校を休みすぎたら推薦が受けられな
くなるから、、、。」と、よく言われました。
その都度、先生に「僕は、私学はウンザリです。僕は国公立しか行きません。」と、よく言った
のを私は憶えています。

高校を卒業し、アルバイトしながら自分自身の仕事を探しました。〜そして、卒業後の秋に、何
故か私は教団に戻りました。何故、戻ったのか???あれほど、嫌っていたのに、、、、。〜未
だに、理由が解りません。〜魔が差したのだろうか???
〜いやっ!!そのような簡単な言葉で片付けることは到底出来ません。理由は全く解りません
が、戻りました。〜理由は、現在でも不明です。

そして、奉仕やら集会やらに参加しました。しかし、やはり何かが違うっ!!!(これは、幼少
当時からずっと思ってたことです。)〜今更、こんな事をやってられないっ!!!〜早く、自身
の身の振り方を決めなければっ!!!(進学する為の勉強をするか?社会に入って働く
か?。)〜そして、教団に戻ってから約10ヶ月後に離れました。〜教団に戻って、私は痛感し
ました。「もう、ここには俺の居場所が無い!!!」〜一度、離れた人間には、教団の信者達
は大変冷たかった記憶があります。教団に戻ってからの約10ヶ月間は、毎日毎日聖書ばかり
読んでました。

最後に参加した集会からの帰り、「お父さん!!!ゴメン!!!」と心の中で泣き叫びながら、
帰宅したのを憶えてます。〜その後どうなるかということは、私自身よく解ってましたから。

妹が、辛うじて教団に残ってましたので、父は主宰監督を続けてました。〜当時の巡回監督と
父はソリが合わず、妹にやたら全時間奉仕を巡回が求めてました。私が離れてから約半年後
に、妹が離れました。〜その頃の巡回は、大変世俗的なお方で、自身のそれ以前の記憶の中
にある巡回とは大きくかけ離れた方であったと記憶しています。〜詳述しますと、欠席裁判とな
りますので避けます。

そして、父は長老・正規開拓を下り、母も同じく正規開拓を下りました。

その後の両親に対し教団の信者達の冷たいこと〜私は教団の信者達とは以降一切接触して
ませんが、彼等の思考回路・行動パターンは手に取る様に解ります。父が、とても冷遇されて
るな、ということは、、、、。〜仕事まで失って、全時間教団に尽くしてきたのに、、、。



父は、**県庁**局に勤めてた為(父の前職です。)、父の薦めもあり、私は20歳の頃に、登記
測量事務所(司法書士・土地家屋調査士事務所。)に就職しました。

そして、私は初めて知りました。〜家が貧しくても、自分で学費を稼いで働きながら大学を卒業
した人々・学歴など無くても精一杯勉強し独立して成功してる人々・挫折の連続であっても「明
日のみ」を信じて必死に生きてる人々・離婚し子供を育てねばならぬ為、仕方なく水商売や風
俗で働いてる人々、等々、、、。〜皆、共通してることは、苦しいことが山の様にあっても、精一
杯「今を生きてる」ということです。〜
やり場のない怒りや悲しみがあっても、どうしようもない問題があっても、精一杯生き続けてる
ということです。

そうなのです!!!〜皆、それぞれの立場で精一杯生きてるのです。〜それが、真実なので
す。

なんと今までの私は、愚かであり浅はかであったのか、、。〜何事につけても厭世的で、自分
で自身の可能性を奪い、生きてる人々に対し敬意を払わず、、、。自身の愚かさをつくづく痛感
しました。一軒一軒家を廻る奉仕活動にしても、社会の「し」の字も知らぬ・解らぬ若造が、真
摯に生きておられる家の人々に対し、「この世の社会が、、、、、、。」或いは「今の社会はもう
すぐしたら終わり、神の王国が、、、、、、。」などと布教してました。〜なんと、無礼な無神経な
失礼な行為であったのか、謙虚さの欠片も無い行為であったのか、つくづく痛感しました。

私は社会人となり、幼少の頃の笑顔を取り戻しました。やっと、生身の人間になれた心境でし
た。〜笑いたいときに笑い、泣きたい時に泣き、遊びたい時に遊び、友人と酒を酌み交わしな
がら熱く将来や未来を語り合い、人を愛し・人に愛され、自身の夢・希望を持ち、、、、。

その後の父は、毎日とても寂しく見えました。〜父は一言も言いませんでしたが、きっと、仕事
を辞めたことを大変後悔してたのだと思います。又、母も以前の様な異常的な熱心さはなくな
っていった様子でした。なんとか、父を社会的に復活させなければ、、、、。なんとか、長谷川家
を復活させなければ、、、、。〜この貧しい生活から抜け出さなければ、、、、。父は私に「大
輔!!もう俺達の事は心配しなくてもいいから、自分自身の事だけを考えて生きて行きなさ
い、、、、。」と、言いましたが、当時の私は家を復活させようと、、、、、。〜これが出来るのは、
この俺しかいないと、、、、、、。



勇気は、生きる自信を呼び起こします。信念は、あらゆるものを征服します。〜
そして、必ず結果をもたらします。「ローマは、一日にしてならず。」〜まさに、その通りです。〜
人間に不可能という言葉は存在しません。〜自信が新たな自信を産み出します。


その後の私は、あたかも過去の学力を取り戻すが如く・自身の本来の姿を取り戻すが如く・夢
を実現させる為・大学卒業資格に代わる「翼」を手に入れる為・自由闊達に社会を生きる「翼」
を手に入れる為、働きながら猛勉強の日々を送りました。



そして、私は「土地家屋調査士・行政書士・宅地建物取引主任者・測量士補」の資格を取得
し、私が2*歳の時、父と共に独立しました。〜社会的に、「復活」です。〜父が役所を辞めてか
ら、11年後の出来事です。

その後、私は多角経営に乗り出し、マンション管理士(01年に新設された国家資格です。)・フ
ィナンシャルプランナーの資格をそれぞれ取得し、今年の夏には、事務所の名称を「長谷川登
記測量設計事務所」から「○.○.○.▲▲▲コンサルタント(編集室注・特定されることを避けるために
伏せています)」に改称しました。

二年程前に、事務所にインターネットを引き真実を知ることができました。私は、1989年以降
の教団の事は、一切知りませんでしたので、教理の変更を筆頭に驚きの連続でした。

インターネットのお陰で、教団自身が「偽預言者」であることを、私は確信しました。もし仮に、
教団が真の宗教ならば、教理を変更してはいけません。何故って???真理はふへんだから
です。人々の人生がかかっているのです。〜教団は、人様の仕事を奪い・職業選択の自由を
奪い・時間を奪い・挙げ句の果てには、「良心」を奪い、、、、。

もし仮に、人間が神の創造物であるならば、「良心」は神が人間に与えたモノなのではないでし
ょうか。

「真理は、人を自由にする。」〜カルトに真理や自由は存在しません。

人は撒いたモノを刈り取る。〜教団は、必ず己が撒いたモノを刈り取る日がやってきます。〜
いや、もう既にその日が訪れてるのかも知れません。


その後の父は、事務所の仕事が忙しい為、仕事優先で教団内では適当に「仮面信者」を装っ
てるみたいです。同じく、母も事務所の電話番や介護や妹の子供の子守などに忙しく「仮面信
者」をしてるようです。

〜今は、自身のベストを尽くせば・与えられた時間とチャンスを生かせば、必ず人生が・仕事が
広がってゆきます。


今般、広く社会に、私のような元二世がいることを知って頂きたく、筆を執りました。

教団の件に関しては、自身語っても語っても語り尽くすことが出来ませんが、、、。


では、失礼します。


※典型的なエホバの証人二世の生育環境でありながら、様々な重圧や苦しみを乗り越えて社
会復帰されたことに敬意を表したいと思います。この「証言」から、ものみの塔組織が、その勝
手な教えにより、いかに多くの善良な人たちを犠牲にし振り回し、いわれなき辛酸を舐めさせ
てきたかがよく分かります。このような「証言」を積み重ねることにより、これ以上の犠牲者を出
さないようにすることと社会に広く警鐘を鳴らし、組織の真実の姿を公に知らしめることが大切
です。さらには現に被害にあわれた方々に元気と勇気を与えることになればと願っています。
社会に出てあなたが学ばれた、「そうなのです!!!〜皆、それぞれの立場で精一杯生きて
るのです。〜それが、真実なのです」や「社会の「し」の字も知らぬ・解らぬ若造が、真摯に生き
ておられる家の人々に対し・・・などと布教してました。〜なんと、無礼な無神経な失礼な行為で
あったのか、謙虚さの欠片も無い行為であったのか、つくづく痛感しました」。などの言葉には
特に共感を覚えます。はからずも組織で学べなかった「真理」をあなたは「この世」で気付き学
ばされたのです。それを得る代償はあまりにも大きかったとはいえ、その経験をもこれからの
バネとし肥やしとしてエホバの証人よりも何倍も数百倍も人間味を備えた「幅と高さと深さ」の
ある味わい深い一人の人間として社会で活躍されることを期待しています。
なお、この手記は今年の春頃にJWICとサポクラに非公開を条件に寄せられたものです。今
回、長谷川氏の好意により、脱塔者の皆さんに公開することができました。快く許可してくださ
った長谷川氏には心より感謝いたします。なお誰だか特定されることを避けるためにごく一部
分を伏せたりしていることをご了承願います。


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