第5章 心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります

寛大な親とは(青字で書いている部分が本文からの引用です)
  マックギニスは著書の中でケネディー家のことに触れています(注1)。ケネディー大統領が次のように父親を語ったというのです。「水泳教室がいくつもあります。その度に1年生の選抜があって、僕はそれによく出ていました。父はいつもそれに応援にきたものです。いつもかならずね。兄弟全部に父はそうしていました」。そしてマックギニスはその解説に、「子供を励ましてできるだけ多くの目標に挑戦させ、こんな形でつき合ってくれる父親がいたら、子供の将来は大きく違ってくるだろう」と、言っています。
 しかしこのようなことはちょっと考えるだけでも大変なことです。子供がしたいことを励ますのであって、親が子供にさせたいことを、やるように励ますのではないのです。子供を自分の望むように変えようというのではないのです。
 子供を励ますことを、子供を自分の望むように変えることと勘違いしている親は多いようです。子供を変えようとするのではなく、子供をありのままに受け入れるためには大変な忍耐力、寛大さが必要です。子供の才能に非現実的な期待をかけたりしないことなのです。
 あるいは子供のすること、言うことに「そんな下らないこと」とか「そんな馬鹿らしいこと」などと言わないし、思わないということでもあります。自分の考える子供象を子供に押しつけないということです。
 これは子煩悩と子供を理解することとは別であるということでもあります。子供はこうある「べき」だという子供像を親は持っています。子供はこうある「べき」だと思いこみ、そのように子供を変えようとするのが多くの親でもあるでしょう。その「べき」が子供の自然にしたがったものではなく、親にとって都合の良いものである場合、これは単なる子煩悩でしかありません。
 心の寛大な人の中で育った子供は、我慢強くなります、という「寛大」の元の言葉は tolerance です。他人の考えなどに寛大なことであり、また他人の間違いなどを我慢することです。

 
エホバの証人として子育てをした親は、ここの部分も耳が痛いのではないか。「子供を励ますことを、子供を自分の望むように変えることと勘違いしている親は多い」。
子どもがしたいことを励ますのではなくて、まさに親がさせたいことを、やるように励ますのがエホバの証人の子育てそのものなのです。野外奉仕、学校での証言、集会の出席と注解への参加、教理上禁じられていることに対する不参加などなど。あげればキリがないほどに、そしてまさに子どもがしたいことをさせないで、親がさせたいことをするように「励まし」を四六時中かけなければなりません。
エホバの証人の親は子供に対して決して寛大ではなく、「組織に対する忠節」という大義のために子どもに「励まし」というよりもまさに「圧力」をかけ続けなければならないのです。その結果、多くの子供たちがどのような悲劇に見舞われるか想像するのに難しくはありません。
未成熟な親とは
  情緒的に未成熟な親は、子供の自然な成長を待てないといいます。もともと子供は自己中心的で、いろいろなことに我慢できるものではありません。しかし、そんな子供の自然に耐えられない親が多いのです。そこで、ついつい子供の年齢にしては無理なことを要求してしまいます。
 親の心が寛大であるときには、子供は自分の望みを発見できます。自分の望みが親の期待に反するのではないかということを恐れる必要がないからです。また寛大な親にとって、子供の自我の成長は脅威ではないでしょう。
 親と子供がいつもケンカしているのは、お互いに相手を自分の都合良いように変えようとしているからです。心が寛大とは、子供が自分の期待と違った望みを抱くことを許せる、ということです。

この定義に当てはめて考えるなら、エホバの証人の親はそのほとんどが「未成熟な親」になってしまいます。子どもの自然な成長を待てずに、赤子の時から、研究や集会中にはじっとしていることなどが求められます。言う事を聞かなければ「懲らしめ」が待ち受けています。
そのようにして「訓練」という名の元に、「従順」にすることを叩き込まれます。それは組織の指導の下に行われるわけですから、組織ぐるみで子どもを都合のよいように変えているのです。
子どもの自然な成長を阻害し、子どもの心に深い痛手を負わせていることにお構いなくです。
力の源はいつも親
  子供を頑張り強くするものは何でしょうか。マックギニスの著書には妻の看病に疲れたある人の話が載っています。『フレンドシップ』(フォーユー)その人は妻の介抱という大変な重荷を背負って、自分はやっていけるのだろうかと不安になっていました。

 ある晩、彼が精も根も尽き果てていけるのだろうかと不安になっていました。小さい頃のある出来事が心に浮かんだのです。『私は当時10歳ぐらいだった。母は重い病気にかかっていた。ある真夜中、私は目が覚めて水を飲みに行った。父母の寝室の前に来ると明かりが見えた。私は中を覗いた。父が、母のベットのわきに、何もせずにバスローブ姿で腰掛けていた。母は眠っていた。私は部屋に飛び込んだ。『どうしたの?』と私は叫んだ、『どうしてパパ、寝ないの?』。父は私をなだめて言った。『何でもないんだよ。ただママについてあげているだけさ』」

 彼はその遠い日の出来事を思い出すと、自分でも知らないうちに、また頑張ろうという気力が戻ってくるのです。そして子の出来事を思い出すと彼は不思議に元気が出てきます。部屋の明かりとぬくもりは何年たっても彼の記憶の中で生き続けたのです。
 『今の私の役目は、なぜかこれよりも耐えやすいように思えた。遠い過去から、あるいは体の中から、エネルギーの泉が呼び起こされたかのようだった』。

 夫婦関係がうまくいっていないのに子供が我慢強くなることを期待しても無理です。その時には、子供は両親を恐れて『よい子』を演じるかもしれません。しかし、その恐怖がなくなればわがままな自己中心的な人間になってしまいます。
 私の父は子の例に出てくる父親とはまったく逆の親でした。10年も家にお金も入れないで平気で威張りちらしていた暴君だったのです。私は幼い頃は父が怖くて『よい子』を演じていました。が、青年時代には神経症になり、今から思うと驚くほどに自己中心的でした。困難に直面すると心理的にパニックに陥って頑張れないのです。

 子育てとは、結局夫婦関係です。子供の教育に熱心な親から必ずしも、立派な子供が育つわけではありません。子供の教育に熱心な親が必ずしも、困難に直面し、勇ましく戦い抜く人間を育てるわけでもないのです。親はそこを理解していないのではないでしょうか。
 夫の出世に失望し、子供に望みを託して生きようとする母親が、どんなに子育てに熱心でも望み通りの子供は育たないでしょう。心秘かに夫を恨みながら、他方で子供を頑張り強く困難に挑戦する人間に育てることは無理なのです。

 そんなことを教えてくれる例を一つ示しましょう。やはりマックギニスの著書のものです。
 1982年クオモという人物がニューヨーク州知事選に立候補したときの話です。対立候補は圧倒的な資金力を持っていました。クオモはきっと負けると何度か思ったということです。そんな運動期間も残り少なくなったある夜のことです。クオモは気落ちしたまま日記を付けようとしていました。鉛筆を捜して机の中を捜すと、父親の古い名刺が出てきたのです。

 「その名刺をみているうちに父親の思い出が蘇ってきた。父親はアメリカに渡ってきたときには英語を話せず、やっとの思いで下水溝を掘る仕事についた。最後に小さな24時間営業の食料雑貨店を手に入れ、移民の一家はそこの裏で長年暮らした。」父親の名刺をじっと見つめた後クオモは日記に次のように書いています。少し長いのですが引用してみましょう。

 「私がこう言えば、パパはなんと言っただろうかと思わずにいられない。『疲れたよ』あるいはー万が一にもー『もう気力がないよ』と言ったら。

 とりわけある場面のことがはっきりと蘇る。私たちの家族は店の裏からホリスウッドに引っ越したばかりだった。初めて自分たちの家を持ったのである。周囲にはいくらかの土地もあり、立木まであった。そのうちの一本は大きなプンゲツトウヒの木で、四十フィートはあっただろう。

 超してきてから一週間足らずの頃、ひどい嵐があった。その晩私たちが店から帰ってくると、そのトウヒの木がほぼ完全に地面から抜けて前に倒れていた。その強い枝が道のアスファルトの上で折れ曲がっている。私たちのトウヒの木が嵐に敗れ、まるでマットに頬をうずめているさまをみると、みんなの心は沈んだ。しかしパパはちがった。

 父はたぶん、靴のかかとがすりへっていなければ五フィート六インチ程度、たっぷり食事していれば百五十五ポンド程度の小男だった。しかし、フランキーと私とマリーとママを全部会わせたよりも力持ちだった。
 私たちは通りの真ん中に倒れた木を見下ろした。雨が降っていた。二、三分考えをまとめた後、パパが言った。『よし、こいつを引き起こすぞ!』『何言ってんの、パパ?根っこが地面にでちゃっているんだよ!』『うるさい、引き起こすんだ。ちゃんと根づくさ』

 その言葉にどう答えていいかわからなかった。パパにはノーと言えなかった。父親だからというより、パパがひどく頑固としていたからだ。
 そこで私たちはパパについて家に戻り、あるだけのロープをさがした後、アスファルトに倒れたトウヒのてっぺんにロープを結びつけた。パパと私が家のそばからロープをひっぱり、フランキーが雨の降る通りで木を押し上げた。するとまたたく間に、トウヒの木は再びまっすぐに立ったのである!

 雨が降り続く中で、パパは根っこの下の土を掘り、穴がだんだん広がるにつれて、木は少しずつ沈んで安定していった。それからみんなで根っこに土をかぶせ、上に石をのせて動くのをふせいだ。パパは地面にくいを打ち込み、幹からロープを張った。二時間ぐらい過ぎていただろうか。曲がった枝をロープで伸ばし、まっすぐに立ったトウヒの木を眺めて、パパは言った。『心配するな、またちゃんと育つさ』
ひきだしから見つけたパパの名刺を見つめながら、私は声を上げて泣きたかった。今あの家の横を通ると、高いまっすぐのプンゲトウヒの木が見えるはずだ。六十五フィートはあるだろう。アスファルトに鼻をつけたことなど一度もないような顔をして、そいつは天に向かってすっくと立っている。

 私はパパの名刺をひきだしに戻し、なにくそと力を込めて閉じた。選挙運動に戻るのが待ちきれなかった」
 ー『ベストを引き出す』
クモオはその後、州選挙知事選に勝利しました。

 子供というのはおそらく親の説教よりも、親の生き方から学ぶのです。私は臆病な青年でした。しかし何度父親から『忍耐、豪胆』と教えられたかわかりません。
 子供は親から「我慢強くなければいけない」と教えられて我慢強くなるわけではないのです。マックギニスはこのクモオの日記の後で、このクモオの頑張りの源は移民の父親であったと書いています。「そんな頑張りは無から生まれない。胸に燃える炎をいだき、しっかりと家族を導くのを大切にした父親が、息子に頑張りを教えたのである」。ー『ベストを引き出す』

家族としての暖かい思い出が、子どもに気力を与えると述べています。私が長年見てきた中ではどうでしょうか。エホバの証人の家族で子ども時代に暖かい思い出、やる気の湧き出るような、心温まる親子の光景というものがあるでしょうか。ほとんどないのではないかというのが率直な観察です。エホバの証人の親は、どうしても子どもに多大な加重をかけてしまい、できないことをやるように求め罪悪感を植えつけることのほうがはるかに多いようです。組織の教えが最優先させられるために、いつも犠牲になるのは何の抵抗力もない子ども達です。現在大人になった子ども達が思い出すのは、やる気の湧き出る暖かい思い出のシーンではなく、辛くいたたまれないエホバの証人としての生い立ちであり、離脱しょうものなら滅ぼされるという恐怖の刷り込みなのです。
「安心」が我慢を育てる
  我慢強いと言うことは、心の成長の一つの大切な指標です。このように立派な父親に育てられた子供は当然のことながら心も成長しているはずです。
 小さい頃、時を得てやさしく子供をなでる親の手は、将来どれほど大きな力を子供から引き出すかわからないのです。

 それに比べて、何かうまくいかなかった時、鬼のような顔でにらみつけられたり、深い失望のため息を吐かれたりした子は、ものごとにおじけづいてしまいます。小さい頃安心して座っていられる膝の上があった人は幸せです。それが後にどれほどその子供を我慢強くすかわからないでしょう。

優しく頭をなでる親の手、これに勝るものはありません。しかし、エホバの証人の子ども達には、力いっぱいお尻をムチ打つ手の思い出のほうがはるかに強力に脳裏に焼きついています。
子どもへの虐待とも言えるこの行為は、組織の指導のもとに行われていたことです。このようなことを指導しておきながら、ひと言の謝罪も言わず、過ちすら認めない組織を信頼することができるのだろうか。
日本の父は強いか
よく日本の父は最近権威が失われてきたと言うことが言われます。はたしてそうでしょうか。そもそも日本には父親像など無かったと主張する人もいます。

 「ある不良化した少年の父親は、勇敢な帝国軍人であった。実際彼は敵陣に突入したこともあった。しかし、彼が子供にとった態度はどうであったか。彼は子供が偉くなるように手をとって教え、初めのうちは子供の成績もよかった。しかし、反抗期をむかえた子供が、だんだんと強くなると手に負えなくなり、子供のいいなりに(陰ではぶつぶつ言いながら)小遣いを与えたり、果ては自転車まで買ってやるのである。兵隊を率いて敵陣に突入した「強い父」は、一人息子と対決できないのである。
「コンプレックス」ー(河合隼雄著・岩波新書)

 今までの日本は、社会が父親を守っていたところがあります。社会が父親に威厳を与えていたのであって、父親が個人として威厳を持っていたわけではないのです。父親が生身の一人の男として家族から尊敬を勝ち得ていたのではないのでしょう。誰が社長になっても社長は社長であるように、誰が父親になっても、父親は父親であるから尊敬されていたのではないでしょうか。
 そのうえ今までの社会には、子供は一般的にこのようにしなければならないというような規範がありました。そして、こうした社会の一般的公共的価値観は父親を通じて子供に届いたものです。父親の果たした役割は代理店のそれでしかなかったのです。

 今、父親は自分の考えで息子と対決しなければなりません。「友達は皆バイクを持っているよ」と言われても、自分の考えを言えなければなりません。息子に嫌われるのが怖くて息子のいいなりになっているようでは、父親の威厳などというのは無理です。

 自分に最も近い人間に、生身の人間として対決できるかどうかと言うことが、人間の個人としての強さなのです。その時自分を守ってくれるものは何もありません。父権制度もないし、子供は親の言うことに従うべきだという規範もない世界で、息子と向き合って明快な感情で堂々と話ができることで初めて父親の威厳が示せるのではないでしょうか。

 明治時代の父親は息子の申し出を拒絶して、強そうに見えたかもしれませんが、彼らはそうしても息子の尊敬を失う恐れはなかったはずです。そうした環境にあったというだけの話です。息子が買ってくれというものを、ダメだと言っても「お父さんは古い」などといわれる棄権はなかったのです。しかし、だからといって明治の父親が一人の生身の男として今の父親より強かったわけではないのです。
子供の心を犠牲にしないで
寛大の反対はなんでしょうか。おそらくそれは、所有、束縛、拒絶の心でしょう。拒絶されるとは、決して自分自身であることを許されなかったということです。自分の中の子供らしさ、子供の活力、子供の遊戯性を犠牲にすることによってしか母に受け入れられなかった、ということです。

 「男っていうのはしょうがないもんだよ」とは決して思ってもらえず、常に生きた感情を抹殺することによってしか保護されなかった、ということです。我執の親から「この子は本当にいい子で」といわれた時、子供は完全に自分自身の感情を失って、内面は空洞化してしまっています。そんなとき、子供は親に本質的に拒絶されているのです。

 自分の生命力を犠牲にした上で親の支配力に身を捧げた時、親は喜んで「この子は素直だ」というのです。そんな「愛」され方をした子供がいるのです。何一つ自分自身の反応を許されず、何一つ自分の心を理解してもらえず、それでもなお男の子は母を慕ってしまうのです。

 寛大とは逆の例になるような親とはどんな親でしょうか。それは子供の成長にストレスを感じるような親です。そのように子供がいつでも弱くあることを望む親が、子供の弱さを助長するのです。そんな子供は自分では何事も決断できない大人になってしまいます。子供が自分の価値を100パーセント受け入れ、自分の言う通りになっていれば、親は機嫌がいいでしょう。しかし子供は、いつまでたっても自分の中に頼りない気持ちを持ちつづけていなければならないのです。

 こんな親は、成熟しようと試みる子供を憎悪さえします。結果、子供は弱さを助長されて、独立性を殺されます。そのような親のもとに育つ子は我慢強くなどなれるわけがありません。子供の弱さを愛しつつ、子供に我慢強くあれと願っても無理なのです。

ありのままの自分でいることを許されず、常に「エホバの喜ばれる子」として、模範的であることが幼い時から求められています。もし、その要求に適わなければ、親からも、時には会衆という「社会」からも、拒絶されてしまいます。
今から考えても、どうしてもエホバの証人の子育て、親子関係はいびつであると言わざる得ません。いつも犠牲になるのは、子どもたちなのです。


読書室に戻る



inserted by FC2 system