自然消滅体験


N025 投稿者    まれさん 

はじめまして。HP拝見しました。
 もう、離れてから10年以上経つ2世です。母親が現在も熱心な証人ですが、私自身は献身する前に自然消滅しま
した。古い話で恐縮ですが、私の体験を書きます。

 自分が離れた、と思ったのと、実際に消滅した時期にはかなりの開きがあると思います。現役の母がいるためか、
移動していないためか、別の理由かは分かりませんが、群れの長老や有力な姉妹たちが訪ねてこなくなったのは今
から3年ほど前でした。

 何度も戻るよう勧められましたが、私はなるべく愛想よく、しかし否定も肯定も、何もせず、諦めるのを待ちました。
断絶してしまえばすっきりするのですが、その方法は選びませんでした。
 私一人の問題では済まないからです。会衆にいる母の立場をこれ以上悪くするのは本意ではありませんでした。
子供を導けなかった、というだけで、居心地は良くないでしょうから。それは母の責任ではないのですから。

 思った以上に長い時間がかかり、その間に鬱や神経症を発症してしまいましたが、留まっていれば遅かれ早かれ
発症していたのでしょう。ひどくなった頃、訪問が途切れたのは不幸中の幸いでしょうか。


 1世姉妹の子、というだけで関わった私はJWの教えに「合わなかった」のだと思います。感銘を受けたことは今もっ
てありません。
 今振り返ると、私にとってのJWは、あって当たり前な存在から、不可解な集団、恐怖感を与える存在になり、更に
怒りを覚え、その後、悪い人たちではないが、なるべくなら係わり合いになりたくない人たちへと変わっていきました。

 兄弟姉妹も人間ですから、聖書の教え通り、というのは難しいでしょう。間違いもあります。
 優しく真面目で、聖書の道徳基準で行動しようとしますし、努力もしているでしょう。
 私には、それが何より怖かったのです。
 穏やかに見える(人が多い)彼らが分からなくなった。

 子供とはいえ、学校に通うようになれば世との交流はできます。それまでは純粋培養でも、そうはいかなくなりま
す。
 証人たちは、いいところも悪いところもある、ちょっと思い込みの激しい普通の人たちに見えます。教えはとにかくと
して、彼らは完璧でも無欲でも謙虚でもない。 なぜ、あんなに立場の違う人を否定するのでしょう。悪魔扱いできる
のでしょう。あんなに自分たちが正しいと信じられるのでしょうか。それが分かりませんでした。

 悪いことが起これば、「サタンが働いた」「サタンの導く世だから」で片付けます。良いことがあれば、「エホバの助
け」「神はいつも見ていてくださる」…
そこに、人間の責任や判断はないのでしょうか。

 小学生の頃、何の気なしにこのような質問をして叱られた時に、不従順だ!サタンに取付かれた!と母は大騒ぎし
て尻をたたき、聖書文書から懇々と教え諭されサタンの考えだと言われたのですが、少なくとも、その時の私には理
解不能でした。二度とこんなこと質問しないでおこう、と後悔したものです。
 この頃の「難しい言葉でごまかされた。そんなことを考えると滅ぼされると脅された」と感じたことが後々続く不信感
へとつながったように思います。

 ヤンチャしては鞭くらったり説教されたりは当然あります。それ自体は特におかしなことではないのですが…母が必
ず聖書と書籍を出してそこから説教するのが奇異で不審に感じられたものです。別段、神権的なことでない場合はな
おさらです。
 自分が悪いことをしたのは理解している、しかし、悪魔呼ばわりされるほどのことだったか?滅ぼされなければなら
ないような人間なのか?と考えては、私の考えは神の真理に反した異常なものなのだろう、と落ち込んだりもしまし
た。

 小学校高学年〜中学生の頃には、ぐるぐる悩んで、表面上はにこやかに奉仕活動や割り当てをしながら、世の本
を読み、自分の中にある疑問や不信感を何とかしようと必死になっていました。読んでいるのさえ見つからなければ
お咎めはなし、隠れてこそこそ行動する自分が何より嫌だと思いつつも、母の管理体制のまずさに「この人、騙され
やすいのかな…」と憎たらしいことを考えていました。
二枚舌もいいところです。今から考えれば、気づいていて見ぬ振りだったのでしょう。

 大きくなるにつれ、小さかった時には見えなかった人間関係や会衆内の問題、それに対する反応に私はますます
不信感や怒りを覚えるようになります。
 詳細は避けますが、私には、始終「同じ兄弟姉妹なのだから、自分に〜をするのが当然、活動のためなら〜をして
も聖書的に許されるのが当然」「神の組織に仕えているのだから、世の法はそれほど重要ではない」という人々。あ
まりにも図々しく聞こえました。
「自分たちの信仰だけが正義、他はすべて悪」「聞くものは救い、聞かないものは滅び」という極端さが許容できなか
ったのです。
 確信もなく続ける私は正しくない。この人たちを、私は騙している。この人たちの中にはいられない。そう思いまし
た。

 もちろん、すべての証人たちが図々しくて極端な性格だとは言いません。見識の広い方もおられるでしょう。全体的
には良い人たちなのでしょうし、真摯なのでしょう。好ましくないところが目に付き始めて、良いところが見えなくなった
のかもしれません。
 成果はともあれ、辛抱強く「真理」を伝え続け、簡単には見捨てませんでした。あまりにも展開がご都合主義で納得
はできないのですが。

 幼い頃から学んでいたはずの私は、信仰もなく、それを受け入れられない異端だったのでしょう。彼らに共感するこ
ともできません。彼らに言わせれば、「生まれながらの悪魔」ということになります。もっとも、私は会衆内の人たちに
こんなことを話したりはしませんでしたし、はっきり言えば、私自身のことであれば、彼らに何と言われようとどうでも
良くなっていました。

 結論が出たのは高校卒業間近でした。正式に「証人」になる前にやめたほうがいい、と集会に行くのをやめました
が、そこから「離れた」と確信するまでが、結構長く感じたように思います。

 当時は母も対立するような姿勢があったのですが、今は、宗教観にも信仰にも反対はしないし否定もしないが私に
同じものを要求しないで欲しい、というスタンスをとり続けているうち、態度は緩和しました。会衆の中での付き合い
も、変わっていないようです。

 私のように、疑問を抱き続けてきた2世の方もいらっしゃるかと思います。
 世間一般の事情や全時間の仕事など、もし不安に感じられるようでも、JWにいたからと言って馴染めないものでは
ありませんでした。

 拙い長文ですが、最後まで読んでいただいたこと、感謝致します。

※子どもの目を通して、ものみの塔という宗教組織がどのような組織なのか、冷静に客観的に述べられており、大変
参考になる体験談です。特にあなたが子どもの時の目から見たエホバの証人たちの言動や振る舞いが奇異に映る
のは、「王様は裸だ」と気がついた童話の子どもたちの視線と共通するものがあり、物事を純粋にありのままに見つ
められる「子どもの目」の素晴らしさと同時にそれに抵抗できない子どもの「哀しみ」をも感じさせるものです。いたい
けない子どもに、こんなにも辛い思いをさせてしまう「ものみの塔」という教団の実態について広く世間に知ってもらい
たい気持ちになります。
組織を離れていく方法が、「否定も肯定もせず・・・会衆にいる母の立場」を考えて、時間をかけて離れていかれたと
いう部分に、あなたの優しさが滲み出ていると思いました。
JW二世として、幼い頃から極端な宗教の「フレーム」をはめられた子供の心理状態がよく表れている体験談です。私
自身は一世なので正直二世の方の苦しみや心の葛藤などが分かりにくい部分があるのですが、今回の体験談は二
世の方がどのような気持ちで大きくなっていかれるのか、子どもの心の内がどのようなものなのか多くのことを学ぶこ
とができました。
どうぞ、これからもものみの塔に煩わされることなく、精神の自由の元に幸せな人生を送られることを心より願ってい
ます。



N026 投稿者    ravenさん 

組織を離れてもう15年以上経ちます。
「自然消滅」なんて言葉も(たぶん)まだ無かった時代の話しです。ぜんぜんドラマチックでもないし、現役証人その他
の人にとってもほとんどお役に立てぬ類の「消滅談」ですが、ちょっと書いて見ます。

80年代の初め頃のある日、証人が二人家に来ました。ちょうど昼間の学校をクビになって夜間高校に通いはじめた
ばかりで、昼間は時間が空いてたし聖書研究は無料だというし、証人の柔和な態度は立派なもんだと思ったので、
聖書研究始めました。
その後は、すべての集会に出たり野外伝道に出たりして、まあ、その他おなじみのお決まりの手順を踏んでバプテ
スマ受けました。この間最初の証人の訪問から5年ぐらい経ってます。

バプテスマ受けてから少しして、やっぱり「証人」は自分に会わないなと思って集会も伝道も(重い病気のフリをして)
だんだんと出るのやめにしました。
どこが自分に合わないかというと、これを言っちゃうともともこうもないけど「すべて」です(だったら最初からやるなって
感じですが)。いくつもの集会、伝道、その他の退屈で無味乾燥ないろんな取り決め。なんか宗教組織というよりは
「会社」みたいだと思いました。そもそも自分はアウトローみたいな人間で、すごく問題児で親には迷惑かけまくりで、
自分がどうにかなっちゃうんじゃないかと思ってたときにイエス・キリストの言葉とかにすごく感銘を受けて(証人に会
う前から聖書一人で読み始めてました)、だから最初は「エホ証」も素晴らしいキリスト的な人達の集まりだと思った
ので交わりを持ちました。なのに「エホ証」が、組織内のキリストの教えには程遠い単なる「要領のイイ」人間だけに
都合の良い組織であるとハッキリ感じられたときは、かなりショックだったと思います(過去形で書いたのは、正直そ
のころの心の状態をあまりはっきりとは思い出せないからです)。

さて夜間高校のほうは無事卒業できてたんですが、「エホ証ショック」を忘れるため(たぶん)と、常に自分にとって大
事だった(ハッキリ言ってエホ証より関心事だった)音楽や文学の道をもっと極めようと、その後大学に行きました(人
よりちょっと遅れてですが)。大学の方も無事卒業できて、その後いろんな苦労があって、で、今はいちおうプロの歌
手&ピアニストみたいなものになれて、まあなんとかやっております。

他の人のことはわかりませんが、自分は運が良かったと思ってます。研究生・証人時代を通じて、常に聖書以外に
主要な関心事(音楽)があり、こっそり(今ではわかりませんが当時はロックやるなんてご法度でした)バンドをやって
ライブハウスに出たり、その他証人活動以外に楽しいことがいろいろありました。両親(未信者)は進学その他、常に
いろんな面において援助してくれましたし。だから自分にとって「エホ証」は、あまり良い言い方ではないかもしれま
せんが(いまだにそれで心が癒えてない方もおられるわけだから...)、言ってみれば「青春の一ページ」みたいなもん
です。研究生・証人時代のイヤなことも思い出そうと思えばいろいろと出てくるかもしれませんが、長い間考えないで
いると(あるいは考えまいとしていると)不思議なもんで、ハッキリと(あるときは全く)思い出すことができなくなるみた
いです。だから自分の古い写真を何の感情も持たないで眺めるみたいに、今では自分の研究生・証人時代を全く客
観的に振り返れます。
もちろん、昨今のネット上での「エホ証」の(やっぱりなという感じの)様様な悪い実態に関する情報等も、自分の過去
の客観化の手助けとなってます。
これから「エホバの証人」がいったいどうなっていくのか、とても興味があります。悪い事実がたくさん出てきても、組
織自体は体の良い「言い逃れ」でうまく逃げおおせると思いますが、組織の末端にいる本当に心やさしき信者たちは
振り回されるばかりでしょう。全くお気の毒です。

ご自身では「全然ドラマチックではない」と述べておられますが、あなたの体験談の中に幾つかの真実を見出すこ
とができます。一つは、『宗教組織というよりは「会社」みたい』という部分です。まさにその通りで会社組織の縦割り
社会であり、様々な無味乾燥な取り決めや階級の中、出世競争や左遷、働きすぎ、ワイロや妬み、時には過労死さ
えあるのです。それは形を変えた無給の社員が野外で出版物の販売をしているようなものです。つまりエホバの証
人になるということはアメリカに本社がある巨大な出版会社の読者になり、尚且つセールス担当社員になり、平の社
員から出世していくと課長(奉仕の僕)や部長(長老)などに上り詰めていくようなものです。その意味であなたの指摘
は核心を突いています。
もう一つは、『自分は運が良かった・・・常に聖書以外に主要な関心事(音楽)があり』と述べておられます。これ(聖書
以外の関心事)のある人は組織の中でも長く生き永らえられるか、離脱するにしても精神的なショックを少なくするの
に役立つという点でこれも真実です。今現役をされている方でいつか離れることを考えている方は、趣味でも何でも
かまわないので全く個人的な関心事を持たれたほうがよいでしょう。
脱塔されて15年ほど経過しているとのこと、これからもあなたらしいオリジナルな人生を力いっぱい歩んで行かれ世
の中で活躍されることを期待しています。


N027 投稿者    正太郎さん 

JW2世、神権家族、奉仕の僕で開拓者。
学歴は中卒。子ども時代は毎日がムチの嵐。現在30代。

サポクラ読者の皆さん、こんにちは。「自然消滅宣言」のコーナーで今年の記念式を最後に自然消滅を決行すると宣
言していたハンドルネーム正太郎です。

私は幼い時から「終わりが来る」という雰囲気の中で育てられてきました。ですから生活のすべては「終わりの日」を
想定したものでした。学校も中学を卒業すると高校進学は会衆からも両親からも許してもらえず即開拓者となり二年
後には必要の大きな会衆へ移動、そしてさらに三年後にはベテル奉仕者となりました。現在は地元の会衆に戻り奉
仕の僕として交わってきましたが、二年ほど前に私と同じ2世ながら大卒でMTS卒業の20代の長老が会衆にやって
来たことが、組織について深く考えるきっかけになりました。

私の時代は大学進学なんて考えることすら許されない雰囲気でした。しかし今や大学教育は当たり前のことでむしろ
高学歴のほうが組織の中では断然有利です。ベテルでも法学部や理工学部系の大学出身者が重要な部署で重く
用いられているようです。私は「新しい光」のきらめく本の少しの差でJWの負け組みになってしまいました。おまけに
あれほど厳しかった父が痴呆症にかかり現在手が離せない状態にあります。母も長年の開拓奉仕が祟り体を壊して
しまっています。「終わりの日」を想定していたために父は一部上々の有名企業を私が幼い頃に退職してしまってお
り、それ以降は「今日一日の身を支えるものと身を覆うものがあれば満足する」という聖書の教えを忠実に守り、「そ
の日暮し」をして来たために蓄えさえもありません。真剣に生活保護などの世話になろうかと考えている状態です。

「まことの神」も「地上の楽園」も「愛のある組織」もすべてが幻想だったのですね。むかし、母が特別開拓者の訪問
で話しを聞いて、幻想に魅かれ、続いて父が感化され、そして子どもの私にも幻想を分かち与えた。ただそれだけの
話です。

私だけが悔しいのではなく、歴史の上で考えると数え切れないくらいの人たちが、この宗教の犠牲となり人生を破壊
され、健康を破壊され、中には助かる命さえも亡くしてきたわけです。

だからといって私の場合は組織に抗議する気もありません。抗議しても時間の無駄なのは分かっているし、改革なん
てできるものではないことくらいベテル奉仕での経験上分かりきったことだからです。

一番賢明な方法は組織から離れることです。それも断絶とかではなくて自然消滅によって黙って離れて、まずは自
分の生活を立て直すこと。そしてできるところから「声」を挙げていくことです。
4月4日の記念式以降集会も奉仕も参加していませんが、何回か電話があった程度で直接家に訪問されることはあ
りません。来られても何も話すことはありませんが、このまま自然消滅していきます。頑張ります。
そして組織が悪と決め付けている「世」で勝ち組に残れるように目標を持って生きていきます。

※ものみの塔組織の非常に偏った「教え」により、あなたのように人生に大きく影響を受けてしまった方々はたくさん
おられます。その点を考えると自らの過ちも間違いも一切認めないどころか謝罪さえしない態度は本当に困った組織
というか、この地上に存在する数ある最低の組織の中の一つだと思います。ただ私が考えるには「勝ち組」も「負け
組」もないのではないかと思います。組織の中で重く用いられようがそうでなかろうが、世の中に出て成功しょうがし
まいが、そのような基準ではなく、思考を誰にも支配されず自分の考えで納得の行く生き方ができたなら、それはそ
れで人生の勝ち組といえると思います。「勝った」「負けた」の単純な二元論ではなく、人は十人十色、いろんな生き
方があって、人それぞれの幸福感は異なります。強いて言えば外因的な「勝ち」はいつか壊れるもので、「勝ち負け」
は自分の心の中で決まるもの。
何を幸せと感じ、勝ちと考えるか、それは精神の自由を得たあなたが、これから考えて行く大きなテーマの一つとい
えるかもしれませんね。これからの自由への旅立ちを応援しています。


N028 投稿者    ありすさん 

初めて投稿させて頂きます。JWICのリンクから来ました。
現在の立場は一応現役にはいると思いますが、集会や奉仕はほとんど無活動状態です。
このまま貴サイトが勧めるように自然に消滅していくつもりです。

今回、なぜ私が組織から離れる決意をしたかを書かせてもらいます。私は誰かに躓いたとか長老にいじめられたとい
うわけではありません。むしろ交わっている会衆は問題がないわけではありませんが、わりとアットホームな雰囲気
で親切な方が多いです。
ではなぜ辞めるのかということですが、私の場合は「組織」そのものを信じることができなくなったからです。話せば長
くなりますが簡単にゆうと、信者に「重荷」ばかりを背負わせることと政府の役人顔負けの「官僚的」な部分です。

一人一人の評価を「エホバの証人歴が何年である」とか、「奉仕報告の数字」とかまたは「開拓者・長老」などに代表
される肩書きで決め付けています。そして毎回毎回集会や大会で「特権」をとらえるように強力にインプットする。この
ような組織に決して心の安らぎは得られないと私は悟りました。

研究生の頃は、もっとみなさん静かに生活を楽しんでいらっしゃる方々のように見えたのですが、いざバブテスマを受
けて会衆の一員になると、それは表面的なものにすぎず、内実は「奉仕の重荷」と「集会出席の義務」、そして「より
高いステータス」を追い求めさせる競争社会だったのです。これでは疲れ果ててしまう人が出ても不思議ではありま
せんね。

一部の熱心な人たちは組織のロボットになっているに過ぎません。そうです丈夫なのか中々壊れないロボットです。
ロボットに成り切れない人たちは、心は冷めているもののいろんな事情があるために辞めるに辞められない人たちで
す。

組織に対して持った疑問をインターネットで調べてみていろんな事実を知ることができました。
これでは協会はインターネットを禁止するはずですね。
今まで築いてきた人間関係も壊したくないので断絶はしたくありません。そこで貴サイトが勧める自然消滅という方法
で静かに離れていこうと思っています。うまくいけば仲の良かった人たちにもそれとなく真実を告げて自然消滅を勧め
るつもりです。
これからの私の方向性を指し示す大きなヒントや励ましを与えて下さったことに感謝の気持ちも添えて投稿させて頂
きました。乱文にて失礼いたしました。

公平とか平等とか奇麗事を言いますが、ものみの塔組織は見事なまでの階級社会です。そして皆がみな、より高
い「特権」を目指して、持てる総てのものを消耗するように仕組まれています。その結果、社会的な居場所・地位、財
産とか健康体、家族の一致とか…などをも犠牲にして、「特権」を捉えることが美談として仕立て上げられるのです。
あなたは組織の巧みなコンベアに乗らずに冷静な目で物事を見極めることができました。
そして今まさに自然消滅を始められたようですね。うまく組織から離脱して「精神の束縛」から自由になってください。
そしてもしできるようなら仲のよかった人たちにもそれとなく救いの手立てを立ててあげてください。自然消滅だからこ
そできることです。


N029 投稿者    jonnyさん 

母がJW、父は未信者(最初は反対者、のちに無関心)、姉がいますが数々の不品行にも関わらず排斥にならずに現
在自然消滅中。

私の経験を公表してください。21歳の時に正規開拓者として必要の大きな地方都市に出ました。そこでパートナー生
活をしていましたが、うまく行かずに相手の兄弟はさっさと他の会衆へと移動していきました。というわけで生活を支
えるのが大変になり、時給の良い他のバイトにかわったのですが、そこで知り合った女の子と仲良くなって、集会の
ない夜にデートするようになりました。でも、車の中でいろんなことを話すだけで誓って言いますがそれ以上の仲には
なっていません。

ところが、会衆の誰かにデートしているところを目撃されて審理委員会に呼び出されてしまいました。もちろん不道徳
はしていないこと、車内で会話を楽しんでいたことを主張しましたが、嘘の言い訳をして悔い改めていないと決め付け
られて排斥処分にされました。冤罪排斥の話はうわさでは聞いたことありましたが、まさか自分がその当事者になる
とは夢にも思っていなかっただけに受けたショックは大きく、その後精神的に不安定になっていきました。

実家のある会衆に戻っても、排斥されて帰ってきた兄弟ということで、母も肩身が狭かったのか、会衆にも母にも昔
の友人たちにも受け入れてもらえず、おまけに父は仕事人間で相談相手にもならず、辛い日々が続いていましたが、
ネットをするようになり苦しい目にあっているのは自分だけではないことをはじめて知り、やっと立ち直れるきっかけが
つかめたような気がしてきました。
今では、ものみの塔協会は神の組織でもなければ、真の宗教でも、真理でもないということが、自分の経験を通して
はっきり分かりました。真の組織ならこんなお粗末な間違いを犯すわけありません。

後ろを振り返らず、JWであったことを後悔もせず、ただ真実のみを受け入れて、これからは自分のためにあるがまま
に自然に生きていこうと思ってます。落ち込んで曇っていた「心の目」を開いてくださって感謝しています。これからも
苦しんでいる人たちをサポートするためにサイトの運営頑張ってください。ありがとうございました。

※冤罪排斥というのは、私も現役時代から時々聞くことはありました。密室の中で三人の長老による審理委員を前に
して、たった一人、様々な事情を聞かれるのは恐怖であり、苦痛であることでしょう。このような暗黒裁判では間違っ
た判断や冤罪が生じても不思議ではありません。
私は思うのですが、親はあなたに都合の良い子を求めています。これはエホバの証人の親全体に言えることですが
…。言い換えれば、組織の都合の良い子でいる必要もありません。逆に、二世の方は親の都合の良い子でいる必
要も全くないのです。親も自分にとっての都合の良い子を求めないで、ありのままの自分を出せる親子関係、本音を
言い合える親子関係が何よりも大切だと思います。ですから、あなたがおっしゃっている通り、後ろを振り返らず、こ
れからは自分の頭で考えて、自分の足で立っていきましょう。堂々と本音と本音をぶつけ合って、あなたの信じる道
を歩んでいってください。


N030 投稿者    チャリダーさん 第一話  

このサイトに偶然行き当たりました。自分の経験した事をお伝えします。

自分は1985年の地域大会でバプテスマを受けましたが、そこに至るまで約10年かかりました。当時自分は高校生
でバプテスマを受けて間もなく首都圏に行き、そこの会衆で交わってました。

その会衆は近隣の会衆では有名な「呪われた会衆」で自殺した兄弟の話や、離れていった兄弟の話、ドロドロな人
間関係を毎日のように見聞きしました。そのわりに会衆の成員達は自分たちの会衆について変なプライドをもってお
り、なかなか理解できない事もありましたが、エホバの証人達が経営する会社に招待され、まだ、補助開拓の立場
でしたが共に働きました。

その会社では現役の開拓者や元特別開拓者を初め、元巡回開拓者、元地域監督者の兄弟達がいる中での自分の
立場はとても低くいものでしたが、兄弟達の親切で何とか働いていました。首都圏の兄弟達にとってはその会社で
働く事がステータスのようでしたが、偶然入社出来た自分にとってはそんな事もなかったのですが、かえって、そのよ
うな環境にあって、色々な会衆で様々な深刻な問題がある事を実感し、自分の属している会衆だけが、決して「呪わ
れた会衆」ではないんだと思いました。

数年後、「より必要の大きい地方に行く」と言う理由で故郷に帰りましてが、その際、「開拓者の家」と言う会衆の取り
決めで出来た若い開拓者達が共同生活を行っている家の入居を勧められ、まだ、公では正規開拓者では無かったも
のの、入居し、日をおかず、正規開拓者に任命されました。

若い兄弟達だけで生活すると言う事はそれだけ問題も起きると言う事で、実際、一人の兄弟が会衆の檀那さんがい
らっしゃる姉妹と関係をもってしまいました。本来そのようなケースは審理委員会の対象になる筈なのですが、主宰
監督の息子である事が関係しているかどうかははっきりしませんが、問題にされる事も無く会衆における立場もその
ままでした。

その事をきっかけに自分は協会についていろいろ調べる事になったのですが、その事が会衆の長老達に知られる事
になり、長老達から、マークされるようになりました。開拓奉仕を下ろされ、開拓者の家から追い出され、仕事もまま
ならない状態の中、とうとう精神的におかしくなり、とうとう精神病院に入院する事になりました。

入院中はどうしたらエホバの証人から離れられるかと言う事だけを考えていましたが、ある時にエホバの証人になる
前にやりたかった事をやろうと思い、そのまま自転車で日本一周する事になりました。果たして一年と2ヵ月後、日本
一周から帰ってきたときには会衆のほとんどの人々は自分の事を忘れていてくれましたが、主宰監督や、長老達は
自分に対して著しい敵意を持って自宅を訪問される事になり、さらに自分は自転車での逃避行を推し進める結果にま
りました。その後、4年間に及ぶ世界一周の旅が始まる事になったんです。

現在はエホバの証人と接する事も無く。世界一周中に覚えた言語を資本に外国人相手の不動産関係の仕事をして
います。

おもえば、自分の場合、組織との直接対決を避ける為に、自転車での逃避行が始まったわけで、本質的にはなにも
変わって無いのかも知れませんが、とにかくエホバの証人との接触はなくす事が出来たわけです。

このサイトをご覧になってる方皆さんが、自分のように自転車で逃避行される必要はもちろんありませんが、自分の
場合、組織から離れる為には時間と労力、そして、世界の人たちからの応援がひつようでした。
今も、組織に残ってる兄弟姉妹達のことが気がかりですが、今の自分には何が出来るのか正直いって判りません。
多くの悩んでる兄弟姉妹達の力になれればなおさいわいです。

※奇麗事しか表面に出さない、ものみの塔組織の実態を物語る投稿です。このような話を聞くと、「神の組織」ではな
く、どこにでもある「人間の組織」であり、神の名を借り愛を標榜しながら何も知らない誠実な一般信者たちを様々な
形で搾取している分非常に悪質な組織だともいえます。また、組織に疑問を持った人に対して、どのような形で追い
込んでいくかが分かる内容であり、気持ちよく「辞める」ことができない組織の実態がよく分かります。そのためにあ
なたは、自転車で日本一周、ひいては世界一周の旅に出る羽目になり、結果的にはそれが貴重な経験となり、今の
あなたを形作る上で大いに役立ったのは不幸中の幸いでした。
あなたの貴重な経験は、現在、組織との関係で悩む人たちに、心の目を開かせ「自由の翼」を与える上で非常に役
立つことでしょう。



N031 投稿者    チャリダーさん 第二話  

両親からの激しい反対を押し切ってバプテスマを受け、晴れて「兄弟」となった自分でしたが、そこには聞いていた事
と違う現実がありました。組織は「あらゆる差別は組織の中には存在しない」と教えてくれましたが、そこには色々な
差別が存在していました。

故郷を離れて首都圏のごく普通の会社に就職したのですが、会衆がらの強い要求と奉仕の僕からの勧めで補助開
拓奉仕を始める為に、「この世」の会社を辞め、エホバの証人が経営する会社に入りました。前にも書いた通り、その
会社には華麗な立場を得ている兄弟達が多く様々な、助言やアドバイスを受けていました。「効率的な時間の入れ
方や、べテル奉仕者に推薦される為のあらゆる情報と方法」がありました。首都圏の若い兄弟達がその会社に入る
事を目標にしたくなる事もよくわかりました。

開拓者として、普通は研究司会や、奉仕をするわけですが、自分が本当にほしかったのは心の安定と自信でした
が、エホバの証人として経験を積めば積むほどに、組織で上手くやっていく事しか考えられなくなり、しまいにはどん
な特権を与えられても感謝できないようになっていきました。故郷に戻った後も、組織と会衆は色々な機会を与えてく
れたのですが、自分の居場所を見出す事が出来ずにいたのですが、ある時、それまで共同生活をしていた「兄弟」が
会衆の既婚者の姉妹と関係を持ち、2人で半ば駆け落ちした状態になりました。本来、そういった事は審理事件とし
て扱われなければいけないと思ったのですが、主宰監督の息子と言う事もあり、全く審理された形跡がありませんで
した。

その頃から、自分は組織のやり方について古い出版物から答えを見出そうと調べていましたが、協会の出版物から
は答えを見出す事が出来ず、当時北海道広島会衆で起きた事件を書いた本「事件簿」を入手し調べていましたが、
長老達に発覚し、厳重な注意と警告の後、正規開拓者を下ろされ、特権も剥奪されました。その後、自分について
様々な事を言われ、またしても自分の居場所を無くしてしまったのです。

実に様々な嫌がらせの後、精神的におかしくなり、精神病院に入院する事になったのですが、入院中、誰も自分の
事を見舞ってくれる「兄弟」も無く、ただこの世界から消えたいと思う日々が続きました。死ぬ事についても考えつか
れた時ふとエホバの証人になる前に自分がやりたかった夢、自転車で日本一周する事を思い出し、ずっと考えつづ
けた挙句、実行する事を決意したのです。

今度は自転車旅行の資金を稼ぐ為に再び上京したのですが、知っている「兄弟」に遭ったらどうしよう。と思いながら
のバイト生活でした。
日本一周中、実に多くの人との出会いがあり、助けてもらえた事は、自分に生きていく希望を与えてくれました。「世
の中は、自分が考えているほど悪いものではない」と言う事を実感しました。

故郷に戻った時、自分の自転車旅行のことが、地元の新聞に掲載されてしまい、再び長老達の訪問を受ける事にな
ってしまったのですが、今度はもっと遠いところに旅行する事を決意してしまった瞬間でした。やはり、バイトで資金を
貯めたあと、日本縦断しながらそのまま海外に出て行くことになったのです。

北海道から旅はスタートし、沖縄から船で台湾に行き、その後、オーストラリアを横断した後、日本を経由してサンフ
ランシスコへ行き、ニューヨークまで横断してバスでロスにもどってからメキシコ、ガテマラ、ホンジュラス、エルサルバ
ドル、ニカラグア、コスタリカを走った後、日本を経由して、今度は韓国、シンガポールと飛行機で移動し、マレーシ
ア、タイを走り抜け、ネパール王国カトマンズへフライトした後からはインド、パキスタン、イラン、トルコ、ブルガリア、
ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、スロベニア、クロアチア、ユーゴスラビア、マケドニア、ギリ
シャと旅は続き、1999年、イスタンブールからアムステルダムを経由して帰国しました。

「長老からの訪問が嫌で旅に出た」のがそもそものきっかけだったのですが、自転車の旅行は確かに自分に対して
自信を与えてくれました。確かに世界のどこに行ってもエホバの証人は存在し遭遇もするのですが、「兄弟達」よりも
むしろ、「世の人々」のほうが自分を励まし、援助してくれた事を自分は記憶しています。自分は組織から出る為に、
世界をまわらなければなりませんでしたが、多くの人はそんな必要は全く無いと思います。しかし、ある意味、エホバ
の証人になっていなかったら自転車での旅行もしていなかったかも知れません。

現在は自転車旅行中身に付けた言語を生かし、外国人相手の不動産関係の仕事をしています。エホバの証人の時
とは違った意味で緊張を要する仕事ですが、感謝しながら生きています。

人間として生きていくのには決まったパターンは必ずしも必要でないと思います。「自分みたいなものでも生きていけ
るんですから」でも、今現在悩みの中にある人々はとても気の毒だと思います。まだ組織には自分が伝道したばっか
りに組織にいる人もいます。自分に出来る事があればなんでもおっしゃってください。出来る事は僅かかもしれません
が、いっしょに泣いたり、怒ったりする事は僕でもできそうです。
数年前の記憶なんで、矛盾してたり、意味がとおらない点もあると思います。許してください。「組織を離れても生きて
いける」と言う事が伝われば幸いです。
      日○国○○○○交流協会所属
             ○○○○  
  (注…身元を特定されることを避けるために伏字にさせていただきました。管理人)

※チャリダーさんの「第一話」に続く第二弾です。エホバの命令として、ものみの塔協会独自の戒律に縛られ、精神
の自由を奪われていたあなたが、やむにやまれぬ気持ちから自転車旅行に出られたのは良かったですね。事情の
許す方は、彼のように「旅」に出て、世の中の様々な世界・様々な人々に触れてくることは回復のための妙薬になる
と思います。私も自然消滅初期の落ち込んでいる時に「旅」に出て、世の人たちから元気を頂いた思い出がありま
す。もちろん自転車で世界一周という大掛かりなものではなく、もっと小さな旅でしたが。もしエホバの証人を辞めたこ
とによって生き辛さを感じている方がおられるなら、時間をかけてでもエホバの証人として刷り込まれた、組織依存の
生き方から、いろんなことを実行したり、工夫したりして人生を切り開いていく態度を身につけるようお勧めいたしま
す。また、これをご覧の皆さんの中で、「私は、こういうことに挑戦して人生を切り開いています」という方がおられまし
たら、是非お知らせください。



N032 投稿者    みっきーさん  

今思うことは、JWに生まれたことで相当のものをなくしているなあってことです。

もう前向きにのみ、完全に離れて生きていこうと思ってて、離れて3年になるけれど、集会中にあまりに興味が無いか
ら、防衛本能というか、心をさまよわせる癖がついちゃってて、集中力が余りに無い。
最近は、自分でトレーニングすることでだいぶよくなりましたが。
他には、つく必要がないうそをつく。親にいつも嘘つかなきゃいけなかった名残かなあ・・・
お母さんのまえではいつもいい子じゃないといけない。でないとムチが飛んでくるし、憎悪に近い目を向けられる。「い
まこの子には悪魔サタンが取り付いている」と。大抵つく嘘といえば、今週の聖書全部よんだよ⇒読んでないけどね
友達と遊んでたの⇒学校で講習があって・・注解しなかったのは、のどがいたくって・・・

学校の友達は学校だけにしなさいって、よく言われませんでした?今思うとありえないですよね。そうそう、人間関係
の構築もうまく出来ないですね、O型なのに^^;
高校をでたら、トッカイシャになりたいですって言わないと、大人たちの笑顔が固まる。最低。
これでも私は模範的な二世でした。
14で本気で恋をするまでは。恋をすることで、これからの自分を、親と組織の操り人形になってる自分を、どうにかし
なきゃって考えるようになりました。目の前に現れた好きな人が、私の目を開けてくれたんですね。いまも毎週の家
庭聖書研究にうんざりしている子達がかわいそう。
離れたければ、早いほうがいいです。でも絶対、不良とか、変なほうにいかないで。それは逃げです!向き合ってな
い。

嫌なものは、嫌って言わなくちゃ。その過程で、親を完全無視しても良いかもしれません。
相手は少なからずダメージを受けます。無視といっても、必要な会話はするけれど、お母さんとよばないとか、いって
きますただいまの挨拶をしないとか、目を見ないとか、それでもいいと思います。心が痛むと思ったあなた。やらない
と、あなたの人生がもっともっと削られます。勝ち取った時間で、勉強して少しでも社会に通じる学歴や資格をゲットす
る努力をしてください。
気がついたときには、遅いのです。トッカイシャになるなんて、言われるままに鵜呑みにしちゃだめです。
そして効果的な無視が1年も続けば、相手は集会や奉仕に行かないことを黙認し始めるでしょう。

彼ら親は非常にしつっこいです。がんばってね(><)

実際、私が親元を離れようとした時は、長老をつかって引っ越し先の最寄の会衆に紹介されました。1回目は親が着
いてきたのでしぶしぶ。親が帰ってからは一回もいってないですけど。

毅然としてください。
あなたの、人生を、自分が愛せる人生にしてほしい。神じゃなくって。
そして、あなたを愛してくれるひとと幸せになってね。

幼い時から、良い子であるようにと強力な監視の下に強制されてしまうと子供は裏表のある生き方を取らざる負え
なくなってしまいます。自然にあるがままに生きられないJWの子供の悲劇の一つですね。子どもの交友関係は学校
内だけに留まらずいろんな人たちとの交友を通して個性が磨かれたり、人間関係を学んだり人間性そのものにに幅
や味わいが出てくるものです。あなたが「ありえない」と言われるのも当然のことです。いろんな考え方、いろんな情
報に接して人間というものは成長していくもの。幼い時からこれだけが正当な情報であって他のはみな間違っている
とかサタンからのものという環境に置かれて子供時代を過ごせばどうなるか…ですよね。そんな典型的なJWの子供
時代から脱出して元気にされているようでたいへん嬉しく思います。「離れたければ、早い方がいい」というアドバイ
ス。私もそう思います。そして具体的な方法や暖かい励ましの言葉を感謝いたします。どうぞあなたご自身も過去を
補って余りある幸せな人生を歩んでくださるよう心より願っています。



N033 投稿者    風花さん    

まだ世間を知らない若いころ、漠然と聖書を読みたいと思っているところに運悪くエホバの証人の特別開拓者が訪問
してきました。何の疑いもなく家に上げて話し合いが始まりました。それが今でいう「家庭聖書研究」だったのです。
当時は研究を始めるとすぐに集会に招待され、いつのまにかバブテスマを受ける進歩的な研究生とみなされて、そ
の時の様子は正直いって自分自身の意思よりも、周りのペースに載せられてきたという感じです。
その後、長年開拓者として必要の大きな区域で奉仕してきました。仕事も身内も総てのものを捨てて区域の人々の
ために述べ伝えてきました。「その日の身を覆う物と体を支える物」で満足してそれ以上のものは巡回監督の六か月
分の月収の蓄えがあれば十分という提案に従ってきました。ところが5年ほど前に体を壊してしまい働けなくなってし
まいました。瞬く間に六ヶ月が過ぎ、その時初めて気がついたのですが、私にはそれ以上の蓄えもなんの保障もな
かったのです。協会からは一通の慰めの手紙が来ましたがそこには「エホバは長年に渡るあなたの働きを決して忘
れたりはされません」という内容のことが書いてあるだけでした。会衆の長老も「エホバは見捨てたりされません」と
か「祈れば必要な物は備えられます」「王国を常に第一にしていれば祝福が注がれます」と言われるだけでした。
はっきり口に出して言うことはできませんでしたが、その時私に必要だったのは医療費や食料などの命をつなぐ「も
の」でした。エホバを試すつもりで痛む体を引きずるように少しの仕事をし手紙などで述べ伝える業を行いましたが、
それでも必要な物は備えられず、私はエホバから好かれていないのではないかとか、祝福されていないのではない
かと考えるようになり、とうとう心の病気にまで患うようになりました。そのころがどん底だったように思います。
その後、私の異常に気付いた両親が田舎から助けに来てくれましたが、その時に私を真に気遣い助けてくれたの
は、「エホバ」ではなく、若いころに縁を切ったも同然の両親だったのです。
私は今はっきりということができます。ものみの塔の教えは偽りであり、人々をいいように騙して組織の拡大のために
働かせているということを。そして本当に助けてくれるのは神ではなくて身内だということです。自然消滅をサポートす
るようなこのような素晴らしいサイトがあることを嬉しく思います。私もあのどん底にいる時に知っていれば、こんなにも
苦しまなくてもすんだのにと思います。私以外にも、悩み苦しんでいる人はたくさんいると思います。それらの人たち
をこれからもサポートしてあげてください。私の拙い経験が少しでもお役に立てばと思い投稿させていただきました。
ありがとうございました。

こちらこそ貴重な経験を投稿してくださり感謝いたします。私自身も一世でしたから、あなたの置かれていた状況
やお気持ちはとてもよく分かります。あの中にいれば、イザという時はエホバに頼り、とにかく弟子を作ることに集中し
なさいというものでしたね。多分今でもそうではないでしょうか。誠実で熱心な人をうまく利用して、いえもっとはっきり
言わせてもらうなら「食い物」にして組織は拡大し続けているのです。そして病気などで使いものにならなくなるとポロ
雑巾のようにポイと捨ててしまいます。組織が蔑み愛がないと主張している「この世」の会社組織でさえ、医療保障
や福利厚生、休業保障等をきちんと備えているのです。しかしベテルの幹部クラスが病気になるときちんとした医療
や休養が与えられるのに対し、末端の信者が病気になったり生活に困っても、それは自発的な奉仕という理由で一
切具体的な援助はありません。せいぜい地元の会衆の親切に頼るしかないのですが、それも当たり外れなどがあり
ます。あなたが組織の中で味わわれたご苦労や心痛、落胆は察して余りあります。このような真実を広く世間に公表
してものみの塔組織の本当の姿を知ってもらう必要があります。そういう意味であなたの投稿は非常に貴重な証言
になります。これからもご自愛されて、ご両親の元で健康を回復してくださることを心よりお祈りしています。



N034 投稿者    こころさん    

疲れきった証人主婦でした。周りの圧力で開拓奉仕もしていましたが私生活とのバランスが取れずに自律神経失調
症になってしまいました。朝起きられず、一日中憂鬱感に支配され続け苦しみ続けた三年間。病気が理由に徐々に
集会にいけなくなりました。最初のころは良心がとても痛みましたが、夫がインターネットのいろんなJWサイトを紹介
してくれて目から鱗が落ちました。
おかげで協会の真実を知ることができ、こんなに苦しまなくてよかった、もっと早く離れていれば良かったと思ってい
ます。
やはり、病気を理由にして交わりを徐々に断っていくのが良いかと思います。しつこく訪問してきますが、居留守を使
ったり、出てしまった時はわざとひどい病気に見せかけ疲れきったフリをします。実際に現役の時は疲れ切っていまし
たけど。
離れようとしている人たちが自分を責めないようにしてほしいです。本当は責める理由なんて何にもないのに、組織
によりそう思うように教育されています。サポクラのポリシーにあるように精神の自由を取り戻すことが大切だと思い
ます。

体の不調という辛い時期を経ながらも、無事に脱塔できて良かったですね。あなたが言われているように組織から
離れることは何も悪いことでも罪悪視することでもありません。ご自分の健康な体や家族を守るために必要な行動で
す。幸いあなたの場合はご主人の協力もあって比較的スムーズにいけたようですね。これからは健康に気をつけな
がら集会とか奉仕とか終わりの日とかに振り回されないで、別の希望を持って家族生活をお送りください。



N035 投稿者    G.Tさん     

このままJWを続けていくなんて、そんな選択肢はぼくの中にはありません。親がJWであることでぼくがどれほど苦し
んできたことか。9.11テロの時、あの飛行機が貿易センタービルじゃなくて、ものみの塔の世界本部に突っ込んでく
れればどれほど良かったかと今でも思います。
他のJW2世と同じようにぼくも鬱病を患っていて医者にもかかっています。独特な教理や圧力でもって多くの若い人
たちの将来を潰し、人そのものを破壊してきた罪は重なり加わり天にまで達しているといえるでしょう。それはキリスト
教世界の罪どころではありません。一番悪いのは統治体の爺たちであり、そのお先棒を担ぐ長老や巡回監督などの
人間たちです。この組織にいても蛇の生殺しのような目に会うだけです。生かさず殺さず組織の発展のために扱き使
われてやがて使い道がなくなるとポイ捨てされるのがオチです。
なんか過激な愚痴ばっかりでスイマセン。ここは自然消滅の体験を書くところでしたね。とにかく何と脅されようと集
会も伝道もきっぱりと断ることです。最初は勇気いりますけど頑張ってやってみてください。

エホバの証人の二世の方特有の辛さ苦しさを経験して来られたようですね。本当にお疲れ様でした。あなたの仰
るとおり、ものみの塔聖書冊子協会の犯してきた「罪」は大きいものがあると思います。自分たちの勝手な言い分を
信者一人一人に強力に押し付けて、人生を、未来を、家庭を、健康を、そして心を壊してきた、いいえ今も壊し続けて
いるわけです。そんな組織から逃れようと勇気を持って行動を起こされたあなたを私は賞賛します。
なお、例え相手がJW組織であってもテロの標的にされることを私は望みません。私くらいの歳になってくると、相手が
誰であれ、流される血、流される涙、は見たくありません。それでは問題の根本的な解決にはならないと思うからで
す。
あなたは折角「悪」の組織から離れることができたのですから、健康を回復されることに努めながらこれからは意味の
ある爽やかな人生を歩めますように心から願っています。



N036 投稿者    teikakazuraさん   

JWの元2世です。以前に協会日曜学校に通っていました。それから、親が伝道を受け、そのまま集会に行くようにな
り、ある転機を迎えてバプテスマを受けました。それから、就職の問題、結婚の問題など、胃潰瘍になり、精神的にも
しんどい状況が続きました。この状態では結婚も
できないし、うまくいかないと心の底では感じておりましたので、その後、いろんな事があった後、未信者と結婚し、
いろいろな努力の甲斐あって、2年後彼女もバプテスマを受け信者になりました。

 しかし、彼女は精神疾患を患っており、当初は回復の兆しも見えたのですが、この組織と交わって行くにつれてだ
んだんと酷くなっていきました。私の両親ともjwなのですが、両方とも高齢で介護が必要な状態で集会に行っていま
す。その面倒を見れないということで無言の圧力のようなものが会衆内では漂っていました。(家内は自分のことで
手一杯で人の世話までできないのが現状です。)このような雰囲気に疲れたのだとおもいます。精神疾患が悪化し
て、両親と激しく対立し、文字通りの大喧嘩をするようになりました。両親を口汚くののしり、暴力をふるうようにまで
なりました。長老には子供の頃の児童虐待が原因で、注意とケアが必要であり、その状況を理解するように目ざめよ
の記事などを参照して状況を把握してほしいと申し入れてありましたが、全く意に介さずの状態でした。(こんなプライ
バシーに関する問題をおいそれと簡単に話をすることなど来ません。)そのうち、家内が暴れる程度が悪化してしま
い、取り抑えなければ近所迷惑甚だしく、こちらの身体まで危害が及ぶようになり、発作が起きたときには取り抑え
るかそのまま放置しておくかの状況をとるようになりました。

 そうしたところ、家内が長老に「夫から暴力をふるわれる!DVだ!」と訴えでて、なんの前触れもなくいきなり審理
委員会です。(個人的にふつうならその前に牧羊訪問というような形で話をし、問題の論点を見極める、援助するの
が普通なのですが、全くの怠慢で、そのようなこと
はありませんでした。)おきまりの密室裁判のような状態でこちらの言い分や状況、精神科医らからの妻の状態につ
いての診断書を見せたにもかかわらず、一方的に排斥の宣告です。ばかばかしくなってしまいましたが、自分自身の
名誉のために上訴して徹底的に戦いました。妻の病状を示す物的証拠、医師の新たなる診断書、症状の具体例、
彼女の病歴の詳細と症状、3時間ばかりはなしました。上訴委員の人たちも、排斥を宣告した長老とグルで公平に
物事を判断しようとはしません。私の説明した事を否定するのであれば、完全に人民裁判と同じ状況、初めに結論あ
りき、という形になっています。

 審理の聴聞、および上訴の聴聞もすべて録音してあります。必要となれば公開する予定です。ただ、指導者と呼ば
れる、少なくとも責任ある人間が、これほど無関心で、無能力無責任であること自体、この組織がおかしいものであ
ることを証明しているように思えます。上訴の聴聞が終わったあと、これは自分たちだけで決められないから、連絡す
るまで待つようにといわれて、もう3ヶ月すぎてしまい、なんのおとさたもありません。こんなに、いい加減でいいので
しょうか。少なくとも、間違って人を排斥したら場合、血の罪、つまり殺人罪に当たるのではないですか、この組織で
は。

 前から、おかしい、おかしいと思いつつ、やはり人間なので、死ぬことがコワイ。という感覚は捨てきれませんでし
た。ですので、この組織にヅルヅルととどまっていたのですが、やはりここでもう一度考え直してみようという気になっ
ています。家内の方は自分のいった嘘八百を長老が簡単に信じてしまったことにつまづいてしまい、交わるのをやめ
てしまいました。(自分を味方にするため巧妙なうそをつくのが家内の病気の特徴です。)もう一度、人を本当に大切
にするという観点から物事を考えてみたいと思っています。またどなたか、『あなた方自身と群れのすべてに注意を
払いなさい』 ? ものみの塔聖書冊子協会発行に記載されている、S-77とS-79の用紙の原本、あるいはコピーをお
持ちの方はいらっしゃらないでしょうか。

何の能力もなく知恵もなく人間味もない人たちが長老という権力を手に入れるとどんな悲劇が生じるかを如実に示
す経験です。ものみの塔組織の場合、そのしわ寄せはたいてい無実の罪無き善人たちにやってきます。そもそも「審
理委員会」自体が前近代的かつ暗黒時代を思わせる間違った制度です。私も経験してきましたが、そこには神によ
る聖霊の導きもなければ、聖書の知恵を正しく適用させるほどの雰囲気もありません。そのような中で、あなたはよく
ぞ巨大な権力に立ち向かい上訴まで持っていかれました。ご両親の面倒、奥様の看護、生活を維持するための仕事
なども抱えておられる中、私の想像以上の苦しさや大変さがあったことと思いますがあなたは本当に良くやってこら
れました。その「孤独な戦い」をしてこられたあなたに心からの敬意を表したいと思います。この上は事態がどのよう
に転ぼうとも、今回の経験から組織が「唯一まことの神の組織」ではあり得ないことに気付かれたことと思います。
「悔しさ」「無念さ」はしばらく残るかもしれませんが、時間の経過と共に受けた傷も癒されてくると思います。
人として生きていくことは、時に経験したくないことまで味わってしまうこともありますが、その経験さえもバネにして生
きていかれることを期待しています。
なお、「あなた方自身と群れのすべてに注意を払いなさい」のコピーなら持っています。必要であればいつでも申し出
てください。また読者の中でS-77とS-79の用紙をお持ちの方がおられるならサポクラアドレスまでご連絡ください。



N037 投稿者    郁恵さん   

集会に行けなくなった自分をずっと責めていました。会衆の堕ちこぼれ、お荷物意識が強くて、神に愛されていない、
会衆のみんなに認められていないと思っていました。
堕ちこぼれてしまった原因は精神的にも肉体的にも疲労が溜まってしまったからです。だってすごく忙しかったんで
す。それに子供のことについていろいろと言われてしまって、自分が言われるのはまだいいのですが、子供のことを
悪く言われるのは親として辛いですね。
いつしか言い訳を見つけては集会や奉仕を休むようになり、そのうち行かなくなりました。司会者の姉妹や長老兄弟
たちが家庭訪問に来ましたが、居留守を使ったり、具合が悪いと断ったり。その度に自己嫌悪に・・・。
でもその時は「自然消滅」なんて考えはなかったですから、ただ自分が悪いと責めていたんです。でも、今日こちらの
サイトを見させていただいて私一人が苦しい思いをしていたのではないことが分かり癒されました。
組織が間違っていたのですね。そして私も自然消滅していたのですね。今ではこの道が正しいと思えるようになって
きました。感謝です。これからも苦しんでいる現役さんたちをサポートするために頑張って下さい。

あなたも組織が敷いたレールの上をただ我武者羅に走ってこられたのですね。休むことも立ち止まることも許され
ず集会と奉仕と個人研究があるのみで、それらに忙しく携わる人が立派な信仰を持っている人として認められる世界
でした。このような忙しい生活を強いられると体や心や家庭さえも壊してしまう人が出てきても少しも不思議ではあり
ません。あなたは自分を守るために無意識的に拒否反応を示されたのです。集会や奉仕に行かなくなったことは少し
も悪いことではなく、むしろ真の自由に目覚める足がかりとなるはずです。本当にお疲れ様でした。これからは疲れた
心身を癒しながら普通の生活が送れるように少しずつペースをつかんでいってください。応援しています。



N038 投稿者    青い林檎さん  

今、私は中学生です。母親がエホバの証人で、物心ついた頃から集会に行ってました。しかし、小学校3年生の時に
親が離婚し、家族はバラバラになってしまいました。(兄は父、姉と弟は母の所に行きました(4人兄弟です))始めの
数ヶ月間は父の所にいましたが、兄が嫌いでしたし、やはり母が好きだったので母の所へと行くことを決めました。し
かし、母の家は普段は誰も居らず(母は仕事、姉は遊びに出かけていて、幼い弟は近くに住んでる祖母の所…)私
はいつも独りでした。新しい学校は始めは楽しかったのですが、友達との相性も合わなくて、だんだん登校拒否気味
になっていってしまいました。(既にこの頃から母は仕事が忙しく、集会にも行かず自然消滅という感じになってまし
た。)いつも家に閉じこもり机に向かって絵を描いていた私を見て祖母は、月刊誌(漫画)を毎月置いていってくれまし
た。(少しお小遣いをくれる時もありました。母からもそれなりにもらった記憶があります)もらったお小遣いで近く(とい
っても、それなりに距離がある)の本屋に行って漫画を買い、コンビニで何か食べ物を買って帰るという生活が1年近
く続きました。(父から聞いた話しですが、そ の頃の私はクスリとも笑ってなかったそうです。)次第に外に出るのが
怖くなってきたので(学校の人に会うかもしれないので)完全に家に引き篭もり状態になってしまいました。その状況
を変えようと、小学校5年生の時に父親の所へ戻る事にしました。しかし、希望を胸に抱いて向かった父の元には、
精神病に苦しむ兄がいました。母がエホバの証人を自然消滅させたのが、かなりショックだったみたいでした。(今ま
で10年以上も母の言葉を信じてきたのに、目の前でタバコを吸われたりしたそうです。裏切られたと思ったのでしょう
…。)兄は時々暴れて大声を出し叫んだり、自殺未遂をしたり…まだ思春期の私の心は、とても傷つきました。壊れ
た兄を見る度に心が痛みました。殺してやりたいとも思いました。そして、そんな兄を一生懸命面倒見る父を、かわい
そうだと思いました。見ている私も辛くなりました。そしてそれは、今も続いています。(最近、兄が倒れた時に付き添
いで救急車に乗りました。その時も近所の人に迷惑をかけてしまい、恥ずかしい思いをしました。)
 もう1つ、私を苦しめているのは、前から知っている姉妹です。姉妹は私がお断りしたのに、そんな事も関係なくしつ
こく関わってきます。(もう親はエホバの証人ではないのに…)始めの1年くらいは集会や大会に一緒に行ったり研究
したりしていたのですが、もうそれにも疲れ、お断りしたのですが、まだ諦めてくれていないのかメールや電話をして
きます。最近では出ないようにしています。(メールや電話が来るたびに怖くなります…)悪い人ではないので罪悪感
が沸きますが、やはりこれ以上エホバの証人に関わるのは辛いです。
 母は再婚し、1人の子供と夫と暮らしています。私は中学を卒業したら母の所に行こうと思います。定時制の学校に
通い、働いて、自分の夢を叶えたいです。それを実現させるためにも、やはりエホバの証人とは関わって行かない方
が良いと考えています。
今の生活は(兄を抜かせば)充実しています。(一人部屋もあるし、テレビもパソコンもそろっています。)しかし、何故
か心は満たされません。
私は本当の自由を手に入れたいです。

*長々とすみませんでした;こんなサイト様があるとは思いませんでした。私の中にあったモヤモヤが、こうして文章
に表す事によって少し晴れた気がします。これからも運営、頑張って下さい。(^^)
でわ。m(_ _)m
文章書くの苦手でごちゃごちゃですね;変な文ですみません;)


※厳しい家庭環境の中で、あなたは健気にもよく頑張ってこられましたね。お父さんのこと、お母さんのこと、そしてお
兄さんのことなど、気になることがたくさんあるにもかかわらずあなたは上手に対処し普通の子供では経験できない
ことを経験してこられました。それらは辛い経験ではありましたが味わった苦労はこれからの人生で必ず生かすこと
ができます。まだまだ若いあなたには時間と未来がありますからこれからいろんな可能性に出会った時に、それらの
経験をバネにすることができるでしょう。将来の夢をお持ちのようですから、今はそのための充電期間、そして準備期
間です。「夢」は原動力ともなります。これからも自分をしっかりと保ちながら「夢」という目標に一歩一歩近づいていっ
て欲しいです。なぜか心が満たされないとのことですが、よければ心の中にあるモヤモヤとしたものを文章にしてこち
らのほうへ引き続き投稿したください。心の中のモヤモヤを文章化することによって客観的に自分自身を見つめ霧が
晴れて来るかもしれませんね。これからのあなたの歩みを応援しています。



N039 投稿者    ねこさん    

初めて研究したのは中学1年でした。司会者はとても厳しく「2世は皆良い子よ。あなたでも勉強したら良くなれるか
しらね」また私が家庭の事で悩んでいたら「同情ひこうとしてるんでしょう」と言う姉妹だった。聖書を知りたいがこの姉
妹は辛い・・・と追い詰められ過食症になった。姉妹は「また太って、Aちゃん(2世)は今、ダイエットしてるのよ。えら
いわよね」と言った。研究をやめた。

もう一度ちゃんとした人から学ぼう、そう思って近所の姉妹と研究、バプテスマ。でもここからが、本当のエホバの証
人の世界が待っていたのです。

会衆の決まりで結婚前の男女が口をきいてはいけない、というのを知らない私は誰とでも話をしました。会衆の古株
の姉妹達に目をつけられました。ある時は相手の家へ乗り込んでいって「Nとはどういうかんけいか」と問い詰めたり
したそうです。当然近所の姉妹達に言って周る念のいれよう。大会ではチェックの矢が体中を貫きました。

おかげですっかり私を危ない者あつかいです。聖句を使った話をしても誰も相手にしてくれません。霊性が低い者、と
して年下の2世にも見下されながら集会に通っていました。

でもやっぱりエホバの証人です。今度は20代なのにファンデーションを使うのはふさわしくない。と言うものでした。そ
の他もろもろで私は鬱で入院しました。当然、励ましの牧羊はありませんでした。

退院して集会に通うようになっても、声をかけてくれる暖かい仲間は誰一人居ませんでした。

本当に惨めで・悲しい日々でした。
正直、医療費・慰謝料払ってもらいたい。まだ通院してるのですから。

これからはエホバの証人化した思考を、正常にもどす作業もしないといけません。難しそうだけど頑張ります。


※あなたの投稿から、やはりどこの会衆にも馬鹿馬鹿しいローカルルールがあり、偏見やえこひいきがあることを再
認識させられました。私のかって在籍してきた幾つかの会衆にもよく似たルールや目立つ長老の息子や娘が大きな
顔をしているといった会衆がありその元では言われなき苦しみを味わい涙を流す方々がいました。愛ある神の組織と
言って人々をその気にさせておきながら、実態はただの人間の組織であり大の大人が馬鹿馬鹿しくもナンセンスな
ルールを真剣に施行し守り行っているのは笑い話みたいなことでもあります。あなたはよく間違いに気づかれました。
これは不幸中の幸いでもあります。現役を続けるほとんどの人たちは間違いにすら気づかずに一生を組織の奴隷とし
て過ごされるのです。これは残念なことでもありますがあなたのように一人でも多くの方が異常さに気づいて目覚め
ていただくことを願ってやみません。証人化した思考を元に戻す作業、あせらずに頑張って下さい。応援しています。



N040 投稿者    SHさん    

私は今大学4年生です。母がエホバの証人で、幼稚園のころから集会や奉仕に参加していました。
正直に言って、私は1度もエホバの証人でいてよかったと心の底から思ったことはなかったと思います。無理矢理そ
う思い込もうとしたことはありましたが…。(苦笑)
2世の人のなかにはきっと私と同じように感じている人もたくさんいると思います。でもそんな自分でも高校3年生に
なるまで組織をやめることができませんでした。

私が長年組織をやめたいと思っていたのにやめることができなかったのには、2つの大きな理由があります。1つは
親に見捨てられるのではという不安でした。
これは生活を親に依存している自分としてはかなり大きな悩みの種でした。もうひとつの理由は今まで自分がエホバ
の証人として長年費やしてきた時間が、組織をやめてしまうとすべて無駄になってしまうのがむなしいというか悔しい
というかそういった理由でした。
毎週集会に5時間、加えて奉仕や研究、大会等費やした膨大な時間と、それに参加するために犠牲にした遊びや部
活等の自分の時間。
組織をやめて、これらの時間が自分にとってまったく無意味な時間だったんだと”認める”のはとても勇気がいりまし
た。
私は、このような理由で組織をやめたくてもなかなか一歩を踏み出せないという方たちがたくさんいると確信していま
す。なので同じような状況から1歩を踏み出した自分の体験が皆様の役に立てばいいと思い投稿しました。

私の場合は幸いにも、組織をやめたからといって親が冷たくなるということはありませんでした
。むしろ今まではいろいろな呪縛(←2世の人なら感覚的にわかりますよね)のために、親にすら自分の言いたいこと
をなかなかぶつけられなかったのですが、今では本音が言えるので気分的にかなり楽になりました。あと、今まで費
やした時間が無駄になってしまうということに関しては、過ぎたことは仕方ないからこれ以上無駄な時間を増やす
な!ということが大切だと思います。

自分は運悪く親がエホバの証人だったせいで、貴重な学生時代の時間の一部を失ってしまいました。小さいころは
確かに親には逆らえないので、それはそれであきらめるしかないと思います。でも大きくなって、自分の考えを持ち、
自分でこの組織はおかしいと判断し、やめたいという気持ちを持ったなら、ぜひ勇気を持って1歩を踏み出してもらい
たいと思います。きっと外の世界はすがすがしいですよ(笑)

エホバの証人はいろいろな規則を与えられるので、特に2世は自分で考える力が欠乏していると思います。しかもま
わりの顔色をうかがいながら、”いい子”でいないといけないというプレッシャーがあるので、自分の本当の気持ちを
抑えつける傾向にあるかもしれません。はっきりいってこれらは人生にとってかなりのマイナスです。なんのいいこと
もありません。
さっきも言いましたが過去は変えようがないので、何とかいい未来の時間を持てるようにがんばってください。それに
はなるべく早く勇気を持って1歩を踏み出すのが一番だと思います。親から与えられた人生ではなく、自分の人生を
見つけてください。がんばってください、応援してます!

俺は1度もエホバの証人をやめたことを後悔したことはありません。

こんなダラダラと長い文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。過去の私と同じように苦しんでいる方
のお役に立てることを祈っています。

※2世特有の苦悩を経験されたあなたの投稿には説得力があります。特にエホバの証人をなかなか辞められなかっ
た二つの理由はもっともであり、その葛藤を困難な中から克服し勇気を持って偽りを教え続ける組織から一歩足を踏
み出されたあなたに敬服いたします。「親に与えられた人生ではなく、自分の人生を見つけてください」というあなた
の言葉は素晴らしいと思います。子供の主体性をないがしろにして組織に盲従を強いるJW環境の中ではなく、自ら
進んで考え行動する、それは決して「独立の精神」と言って裁かれる悪いことではなく、むしろその積み重ねによって
子供は成長していく善なるものと言えます。自分自らが作り出した動機でJWの世界から離脱しご自分の人生を見つ
ける旅に出られたSHさんに心より声援を送ります。人生の目的はエホバ神に仕えることでも地上の楽園を目指すこと
でもありません。自分なりに誠実に精一杯生きていろんな経験や感動を味わったらそれが満点人生です。




N041 投稿者    あすなろさん    

集会、奉仕活動、大会、自発奉仕、もてなし、人間関係etc…。エホバの証人としてのすべての活動に疲れ果てまし
た。体力も気力も資力も最後の拠り所だった精神力さえも奪われてしまいました。喜びなさいといわれても喜びなん
てどこにもありません。無理矢理喜んで心が壊れてしまいました。躁と鬱が交互にやってきます。
この組織は矛盾だらけです。終わりの日を強調し、世の中はサタンの支配にあると脅し、王国を第一にすれば幸せに
なれると教えていますが私の会衆には鬱病にかかった人が何人もいます。まともではありません。それでも終わりの
時にはいろんな問題のある会衆が出てくるとも教えられていたのでしばらくはがんばってきました。でも、限界です。
別にハルマゲドンで滅ぼされてもかまいません。今を楽に生きたいです。

集会に行かなくなって一年ほどは寝たきり状態でした。ポストに雑誌だけがヤマのように入っていました。留守番電
話には「終わりは近いです」の励ましの声と共に奉仕報告を出すようにとの催促のメッセージ。最近になってようやく
だれも何も言ってこなくなりました。それでも外出する時は回りが気になります。
協会から禁止されているインターネットを見てびっくりです。これでは禁止するはずです。お陰で目が覚めました。これ
からは前向きに生きて行きます。ありがとうございました。

私もそうでしたがJWをしているゆえの疲労感というのは半端なものではありませんね。ですからあなたが疲れたと
いわれるのはよく理解できます。私は思うのですが終わりの日もハルマゲドンも来ません。それは組織が信者を縛り
付けておくための「脅し」に過ぎないのです。ですからどうぞ恐れないで気持ちを楽にして一日一日をお過ごしくださ
い。人生何度でもやり直しはできます。精神の自由を得ていい人生が歩めますように。




N043 投稿者    ブルーノートさん    

消滅の投稿ではありませんが。。。
ヤフー掲示板にて正にズバリそのもの、的な書き込みがありましたのでご紹介します。
エホバの証人を離れるも、葛藤を感じているかもしれない皆さんの一日も早い立ち直りを祈念いたします。


以下、コピペです。

>あのな、エホバの証人ってのは「自分がエイズと気がつかずに善意のつもりで
献血を繰り返し世の中にHIVを広めちゃったバカモノ」に相等しいの!!
とっとと気が付け、タワケども。

※まさにその通りですね。徹底的に「善意」のつもりでやっているから(少なくとも下々の信者たちは)、「人のいい」区
域の人たちが騙されてどんどん広がっていきます。何の罪もない善良な人たちがHIVに感染してしまったように、こう
して地域社会の平凡でも平和だった人生や家庭に苦難という嵐を呼び込んでしまいます。それは時には家庭や人生
において壊滅的な被害をももたらします。「この宗教にさえはまらなかったら・・・」という声はよくお聞きします。
ものみの塔の実態をこれからも社会に広くアピールしていく必要を感じますね。



N044 投稿者    元2世さん    

管理人 様
(会社のパソコンから失礼します・・・笑)

私も元2世です。
もう自然消滅してから10年くらい経ちます。

20歳の時に、母が勝手に「この子は今年、バプテスマを受けます」と長老に告し、いやだと言うことも出来ずバプテス
マを受けました。
その同じ年に「もうエホバの証人としてやっていきたくない、母と一緒に楽園に行くくらいなら死んだほうがマシ!」と
両手一杯の薬を飲みました。
3日間意識が戻らなかったものの、運良く(?)助かり、母が一言。
「みっともない、兄弟たちに知られたら何て言ったらいいの!このことは黙っていなさい」
その時、母は私の命より組織のほうが大事なんだということを痛感させられました。

まぁ、模範的な開拓者の姉妹であった母に10年以上、身体的な虐待を受けていましたから気付いてはいたのです
が。(よくベルトで鞭打たれ、体中がみみずばれになり横たわることも出来ないほどだったのですが、母子家庭で親
族からも孤立していたので逃げ場がなかった・・・2世にはよくある話ですね〜)
そのときから、「これは逃げるんだったら相当うまく立ち回らないと」と思うようになりました。

でも結局、あまりうまくは立ち回ってこなかったですね。真っ向から立ち向かうしか手はなかったような気がします。も
う、自分には母親はいないんだと思い、喧嘩して家出を繰り返していくうちに、母に「あなたがいると(奉仕の僕の)弟
に迷惑がかかるから、出て行ってほしい」と言われ、大喜びで3日でアパートを探し家を出ました。一応、引越し先の
会衆にも1ヶ月は交わったのですが、じわじわと連絡を取らなくなり、そこから今度は黙って引越し!完全に縁が切れ
ました。(状況が許すなら2度引越しするという手、かなり使えます!)

長い間、組織に従順、親に従順を叩き込まれていたので喧嘩しているときが一番辛かったです。罪悪感も酷かった
し。反抗すると鞭打たれ、出て行くというと「愛しているから鞭打つんだ」と泣き落とし。その繰り返しで、もう気が変に
なりそうでした。ひどい幻覚にも悩まされ、中学生の時から精神科に通い、今でも時々カウンセリングに通っていま
す。(組織と親から離れてから幻覚症状があっという間に軽減しました)

うまく離れるコツは、自分の気持ちをよく聞いてくれる友達か恋人を作って、話しを聞いてもらうこと。(特に罪悪感・見
捨てられ感が離れてすぐは非常に強いので!)
急に友達や恋人なんか作れない〜という人は、よく話を聞いてくれる(聞いてくれる!がポイント。「上からものを言う
人」はエホバの証人は不自由しませんから)
カウンセラーを探すのもいい方法だと思います。

長い間エホバの組織に軟禁状態でしたが、35歳になった現在は優しい旦那(2年前に結婚、それを期に親とは完全
に断絶)と子供と友達と、楽しくいろんなことに挑戦しています。皆さんもがんばって下さい!心から応援しています。

(とっちらかった文章でスミマセン)

自ら命を絶とうとするまでに苦しんでこられたのですね。でも、その自殺の企てが成功しないで本当に良かった。よ
くぞ生き抜いてくれました。幼かった頃に様々な苦難に耐えてこられたあなた自身を思い出して心の中で抱きしめて
あげてください。そして心から労わり褒めてあげてください。私からも「よく頑張ってきたね、えらかったね!」とエール
を送ります。命をすり減らすほどの苦難を与えてきた組織と親をあなたは乗り越えることができたのです。今やっと手
に入れられた幸せをどうぞこれからも十分お楽しみください。
他にもたくさんの方がこの宗教が原因で苦しんでおられることと思います。今まさにそういう方もおられることでしょう。
でもどうか自殺なんて考えないでください。苦しみの原因を手放す勇気を持ってほしいということです。思い切って考
え方や見方を変えてみる、そのことで心模様も変わります。JW環境が辛いものならなにもそこに身を置くことはありま
せんね。そうすることは決して「罪」なんかではありません。
(体験談を投稿してくださった方には直接「受信」した旨とお礼のメールをお送りしているのですが、あなたの場合は個
人アドレスではなかったので差し控えさせていただきました。改めて貴重な体験談を寄せてくださりお礼を申し上げま
す。ありがとうございました。)


N045 投稿者    マリボグさん    

私は20代でJWと遭遇し、悔い改めて献身にいたる純粋な時期を経て、30代で会衆の牧者となり様々な疑問を感
じながらもJWのエリートコースを歩み、40代になって20年間のナイトメアから正気に戻った男性です。

JWから離れる際に、排斥か断絶か自然消滅かと1年間程迷いましたが、排斥は後で長老達の定期的な訪問リスト
に載ってしまうし、断絶は書面に証拠が残ってしまうし、やはり不活発プラス転出予定の示唆そして自然消滅がベタ
ーであると考えて、審理委員の聴聞会の要請から上手く逃げることを努力してきました。その結果,昨年の夏頃から
徐々に集会を休み始め、伝道報告も2時間位にして(本当はずっとO)長老達の訪問をかわしながら、今年の4月か
ら全ての集会と伝道をやめ、自然消滅という形で真の心の平安を得ることが出来つつあります。

経験を話そうとすれば、何日もかかってしまうくらい、様々な場面や心の葛藤に直面してきましたが、結論を言うな
ら、下記のようになるでしょう。

1.エホバ神より身近な人間を大切に生きることが自分の残された人生である。
2.宗教より世俗の仕事や世俗のボランティア活動が大切である。
3.世俗の高等教育は必要であるし高収入の仕事を追い求めることも悪いことでは無い。
4.神は存在すると思うが、世の終わりは未だずっと先の話である。
5.JWの組織や個々の成員には何の恨みも持っていない。
6.誰でも我慢してJWを続ける必要は無い。

JWを経験して良かったこともあります。次の点です。
 
1.英語力が上達した。
2.話す能力も上達して嘘をつくのが上手くなった。
3.人の家で美味しいものを食べることができた。
4.自分は人より恵まれていることが分かった。
5.やめてから、普通に生きることが貴重であることが分かった。
            
以上、またお会いしましょう。

純粋な動機から信じ、青春と人生をかけてきたものが偽りだと気付いた時、さぞ苦しく悔しく悩ましいことだったこと
でしょう。お気持ちお察しいたします。排斥とか断絶を選ばずに自然消滅を選択されたのも正解だったと思います。
「自然消滅」という方法は組織の取り決めにはありえないものです。辞めるには「排斥」か「断絶」という取り決めしか
ないからです。ですから、そのありえない方法で組織を去ることに意味があると思います。黙って交わらなくなる、こ
れほどあとに残る人たちに組織に対する不安感を与える方法はないと思うからです。
マリボクさんの下された1から6の結論、4を除いて私も全く同意できます。(4は私の場合神は存在するかどうか分か
らない、少なくとも神の起こす「世の終わり」は絶対に来ないという考え方です)。この宗教の場合「辞めるが勝ち」で
す。辞めて自由になって残されたこれからの人生を自分らしく大切に生きていきましょう。


N046 投稿者    三毛猫さん    

JWの開拓者が奉仕で私の家のベルを鳴らしたのは、私が12歳の時、自分は生きていない方が良いのではないか
と考えていた時でした。
二度目の再訪問で我が家が父子家庭だと知った開拓者姉妹は「誰も居ないならあがっていいわよね」とずかずか私
を押しのけて勝手に家に入ってきました。私はただボーゼンとしていました。
そして開口一番「こんな所に住んでるの、何も無いじゃない」とテーブル前に座りながら言いました。さらに「この分だ
と、あなた家事やらないでしょう。料理作れないんじゃないの」と見下したようにいいました。
 
私が父に引き取られたのは9歳の時です。母は私が幼い頃から家事をしない人でした。母は私と心中しようとした
り、何かとお騒がせな人でした。
当然、料理や家の飾りつけなんて教わっていません。命からがら父の元に逃げ出してきたのです。それでも、レパー
トリーは少ないものの料理は作っていました。
 
この事情を知ってるにも関わらず、司会者は「料理作らないだめな子供」「制服のプリーツがほどけそうなのを穿いて
るきちんとしない子」「家の飾りつけが出来ない子供」さらには父が帰ってくるまで家に居てわざと父に見せる為に私
をしかる。父が言うには、私にひどいことを言った後、必ず父の顔を見るのだそうです。司会者はよく言ってました。「1
世は親の前で‘愛するからしかる’って話をすると、親は反対しなくなる」私の場合は「躾けてやってるのよ」のアピー
ルでしょう。アピールの効果の確認に父の顔を見たのです。
父は反対しませんでした。アピールには気を悪くしていましたが、徹底的な放任主義者だったのです。
 
司会者は会衆の姉妹達に私の事を悪く言ってるようでした。二親そろった子供と比べられたりもしました。「あの子は
ケーキ作ったのよ、あんた(本当にこう言う)作れないでしょう」毎日おかずと弁当を作ってるのに、そんな優雅な暇な
んて私にはありません。若い姉妹達も研究参加に来ては「こんな何にも無い家、初めて見たわ。
こんな所に住んでる人って・・・ちょっと・・・」と言ってくれます。
たしかに我が家は花も人形も飾っていませんでした。必要なもの意外何も無い家でした。
 
こんな事が沢山あって、私は自尊心の崩壊と父子家庭の劣等感を植え付けました。
そしてこんな考えも・・・「一度JWと関わってから離れたらサタンが仕返しに来る」・・・。
 
わたしは14歳で研究を辞めましたが、サタンの仕返しが怖かった。
その後、母の病気が悪化。物凄く私の身辺は荒れました。19歳で耐え切れなくなりました。
「JWになろう。サタンの仕返しも収まる・・・」。20歳でバプテスマを受けました。
 
子供時代に、2世に対する劣等感を植え付けられていますから、いつも緊張していました。
でもやはりエリートの2世と比べられて馬鹿にされたり、お局対決に巻き込まれたり・・・等など。
主催は始め私の経歴が売り込みになると思って、大会で私の経験を話したりしました。でもJWの色々で私は寝込む
ようになったのです。
そのとたん主催の態度が変わりました。完全無視です。私が入院することになっても知らん顔でした。
もちろん会衆の成員も知らん顔でした。集会もままならなくなると「霊的に弱い」というレッテルを張られました。
さらに体が動かなくなりました。今度は会衆で見下されている人が私を見下して憂さ晴らしするようになりました。「慰
み者」これがJWでの私の仕事でした。
 
こんな事を13年続けると、変な事が起きました。
幼少期から中学3年までの記憶が無くなってしまったのです。
精神科医は「JWの苦しみと生い立ちでの苦しみを2つ持っては生きていけないから、無意識に自分で記憶を消した
んだろう」と。
 
今、JWの活動を全て停止しました。そうしたら記憶が戻ってきました。
やっと自分の人生を取り戻せます。

※幼い頃から人並み以上の苦労を経験してこられたのですね。そのような境遇の中であなたなりに一生懸命生きて
こられたことは本当に立派なことであり、まずはこの事実に目を向け「心の中」にいる子供時代のあなた自身を優しく
抱きしめてあげてください。次にJWであったが故に経験した様々な嫌な思い出、辛かったことでしょう。特に「愛ある
組織」と思い込んでいたのでなおさらだと思います。それらの経験はいわば心の中に溜まった「生ゴミ」のようなもの
です。何も考えずにさっさと処分して綺麗にできれば一番いいですね。現在はJWの活動を停止しているとのこと。こ
れからが新しい人生のスタートです。これからはJW時代にはできなかったささやかなこと、例えば自分のために好き
な料理を作ったり、好きな音楽を聴いたり、お茶を飲んだりして今現在の生活を楽しむようになさってください。



N047 投稿者    浜田さん     

私が自然消滅をするきっかけになったのはまず集会や大会奉仕をまともに指示していれば仕事がまともにできないこ
と、バプテスマを受けてから早い段階で会衆の会計報告は行われているのに日本支部の収支決算と残高、ニューヨ
ーク世界本部での収支決算と残高の報告が一般信者に対して全くなされていないことで組織に対して疑問を持つよ
うになりました。

また集会、奉仕、仕事で自分の時間も持てず体を休める時も在りませんでした。また医療などで何の資格も専門的
な知識も技術も持たない長老といわれるただのおっさんがいかにも自分たちは聖霊により神から任命されているの
だという権威だけで他の人々を援助するやり方も疑問でした。
失敗すると私たちも1世紀当時の兄弟たちと同じように不完全ですと行って逃げるやり方にも疑問を感じていました。
現在自然消滅を開始してから4年が立ちますが、今では牧羊訪問にも来なくなっています。

※会衆単位では毎月厳格な会計報告をさせ、さらなる寄付を鼓舞していますが、支部単位や世界本部単位での会
計報告は秘密のベールに包まれています。一般信者には知られたくない何かがあるのでしょうか。実際協会本部で
はその豊富な資金力を用い宗教活動には似合わない株式投資などを行い多額の利潤を得ているのは公然の事実
です。日本支部においても以前、支部委員の一人が資金の運用を任され、結果、大穴の損失を出したので支部委員
を降ろされたという噂話は聞いたことがあります。某証券会社や某都市銀行と密接に結び付いているとかそういう話
も聞いたことがあります。以上のような話やあなたが言われるなんの「資格」も「専門的知識」も持たない長老と呼ば
れる人々が「権威」だけで一般信者を指導した結果、心身ともに落ち込ませているケースも多々あり、確かに「不完
全です」という言い訳ではすまない大きな問題があり、とても「神の組織」どころではなく世俗の宗教組織と何ら変わ
らない、いえそれ以上に危ない部分があるといわざる得ません。


N048 投稿者    好史霧等さん     

はじめまして。**府在住の自然消滅者です。
私の場合、組織に対する不満が大半の原因で、「集会欠席宣言」を主催監督のポストに書面で投函し、自然消滅を
開始(?)しました。もう組織を離れて約8年になります。

以下、年代を追って私のかつての「証人人生」を申し上げたいと思います。

【小学生時代】
弟と病気により死別しました。(小1)
〜悲しみの年月〜(〜小4)
母が戸別訪問により、死者の復活を前面に出されたため、すぐに迎え入れ「真理」の書籍により研究が始まる。(小5
前半)程なくして私も、司会者の2世(私と同じ歳)から研究を始めた(小6前半)同時にその頃から集会や、野外奉仕
に連れて行かれた。(当時伝道者の資格が
あったわけでもないのに、証言もやらされた。)

その頃父は、強い反対はしなかったものの、組織に深入りされないよう、同市内ではあるが引越しを計画し実行。
しかし、(残念ながら?)引っ越ししても、研究はその区域の会衆の司会者にしっかり引き継がれ、母は献身する。
(小6夏)

私も同時に、家の数件先に住むクリスチャン家族の長男(当時18歳)から研究司会され、チヤホヤされる嬉しさのあ
まり神権宣教学校に入校し、伝道者にもなった。同時に非常に社交的な
司会者であったため他会衆にも連れて行かれ、自慢げに研究生として紹介された。私自身はその時ながらに、司会
者を持ち上げようと、難しい言葉をあえて用いた注解に力を入れていたと思う。

【中学生時代】
書籍2冊の研究を終え、翌年に献身し、司会者は必要の大きな地域へと引越し。(中1)
「模範的な青年兄弟」として、会衆内の2世の研究司会を任され、多いときで6人を受け持ったこともある。”研究報
告”を提出するときは、自慢げに、わざと束として見せるように提出していた記憶があります。
もっとも研究生とはいえ2世なので、予習も親の元でキッチリやってくれていましたし、司会はいたって楽でした。(研
究後の食事招待も楽しめましたし・・)
(中学時代は毎年の夏休みに、「補助開拓奉仕」を捉えた。)

この中学時代は、気分が高揚していた自身のいわば「絶好調」の証人時代でもあり、体育授業での柔道の見学時
も、先生に自分から証言したり、当時は土曜日も午前中授業があったため、大会の度に、先生に証言し試験期間中
であっても大会出席を優先していた。

集会のときの「ステージ設営係」「公演者用マイク高さ調整の係」、「注解用のマイク配送係」の役割を得、その時に
音響機器に興味を持つ。
高校進学においては電気関係の勉強をしたいと考え、進路選択には迷いはなかった。そして工業高校を選択する。
(中3)

卒業前に、クラスの女子と毎日手紙を書き合うようになった。
好意を持たれていることに気付きながらも、変な関係として母に見つかるのが怖く、相手には気付かないフリをしてい
た。すると、ますます相手のアプローチが強まり、私が風邪を引いて休んだ暁には、花束と授業のプリントを持って、
今は校区外になってしまったほどの遠い距離を、歩いて届けにきてくれたのにはさすがに驚いた。

バレンタインデーには、彼女から手作りチョコを貰ったが、常々それが「世の風習」だと嫌っていた母に見つかるまい
と、持って帰るのをためらい、帰りの道中で、タラフク隠れて食べた記憶がある。
卒業式に、「第2ボタンと生徒手帳を下さい。」とも懇願されたが、これも観察力の鋭い母にバレてはと、かたくなに拒
否し彼女を泣かせてしまった。

以後、何度か手紙が彼女から届いてはいたが、返事を書くと多分彼女のことだし、すぐにまた手紙を送ってくると思
い、母に見つかるのが怖く、苦悩ながら無視し続けた。
今から思えば、なんと非情なことをしたのかと、心が痛むのです。
(もっとも、これに応じていれば、後の人生が変わったかもしれないが・・)

【高校生時代】
無事合格し、工業高校の電子工学科に入学できた。周りの同年代の(当時の)仲間は、卒業後「正規開拓者」を捉
えることを視野に入れ、普通科を選択していた。
私だけ、いわば卒業後は「世俗の仕事に就きます」という意思表示をした結果になり、何ともこの頃から”異色の兄
弟”と映ったに違いない。

電気に関する知識が増すにつれ、音響機器のみならずアマチュア無線にも興味を持ち、少ないながら、まだ交流の
あった中学校当時のクラスの友人や、高校のクラスメイトと資格を取得し、帰宅後の時間は無線にのめりこんだ。
長老たちはこれを「世との交友だ」と非難され、審理委員会にまで発展し、すべての会衆内の割り当て(特権)を剥奪
された。約2ヶ月で制限は解かれたが、集会の予習もし、注解にも
積極的に臨んでいただけに、この時に下された「処分」に今でも不満が残る。

高校卒業後の大学進学を、父は勧めたが社会人になって、仕事の忙しさを理由に組織から離れる計画を立てようと
考え始めた。
何よりも、「エホバの証人」を良く思っていなかった父の理解を少しでも得られればというのが、大きな理由の一つで
した。

【社会人時代】
高校卒業後、いわゆる「全時間の世俗の仕事」に就職し、電車通勤で1.5時間。
あえて近隣の就職先を候補から外し、“通勤の遠さと、仕事を理由に組織から離れたい”という考えがありました。し
かしそんな構想とは裏腹に、母を悲しませたくないという思いが勝ち、集会の日には残業を断り、直行で王国会館
へ。おかげで職場では「サラリーマン根性」と呼ばれ、「新人類」扱いされ人間関係で悩まされた。

当然集会の日と親睦会が、「ダブルブッキング」しても集会を優先していたため、「社会勉強すら出来ない」人間として
扱われ、普段の仕事はやりにくく無視される日々が続いた。会社にはタイプの女性従業員が、私のいわば「イジメ
的」な状況を察して、何かと気遣ってくれたが、(この世の)女性に対してどのように接していいか、まったく判らずや
がて相手も離れて行き、さらなる孤立感を味わうようになっていた。

しかし当時、唯一心の支えとなっていたことがありました。同じ会衆の2歳年下の2世の子(彼女は高3)を、朝の電
車の駅の向い側で偶然見かけたことがきっかけで、毎朝向かいのホーム越しに手を振り合う仲となり、やがて夜の
集会の帰りは駅から家の途中まで歩くのが習慣化し、集会よりも楽しみとなる。

お互い自宅の最寄駅から3つ先の、私鉄駅サイドに王国会館があったのですが、彼女は家からじゅうぶん自転車で
も通えた距離だし、私はともかく、学生の立場で時間的にもわざわざ集会出席のために、電車を利用しなくても良か
ったのだと思う。
集会後も、私は音響係としてマイクやテープの片付けをしていたため、たいてい遅い時間になったのですが、彼女は
それに合わせるかのように、いつも帰りは同じ電車でした。正直なところ私も彼女の帰る時間を、意識していたので
すが・・。
切符売り場で追いつくか追いつかれるかで、大抵一緒になり、車内でも空いた座席に二人だけで、まるで自然なカッ
プルのように一緒に座っていました。

彼女は決して嫌がるそぶりもしないので、そんなことを考えるうちに、自分に少なからず好意を抱いてくれているのか
とも思い、こちらも決して悪い気はしないのです。というより、だんだん彼女のことを一人の女性として意識し始め、好
きになっていったのでした。

しかし、そんな至福の時(笑)も束の間。主催監督の妻に、夜の集会帰りの車中から、私たちが2人っきりで駅から歩
いているのを発見され、母に電話されてしまい、バレてしまいました。集会以外の他の日にも会っているのではない
かという、誤解を伴った噂も自分の耳に入りました。
「近々の結婚説」を含んだ噂も手伝い(?)ついに親子関係がギクシャクし始めました。
父はあきれてノータッチ。(別にいいんじゃないの?それが自然な欲求じゃないの?という感じ。)

以後、特に主催監督の妻から私たち2人はマークされ、割り当てのお礼を、彼女から言いに来られても「音響席で2
人でまたヒソヒソ話」をしていると、母に告げ口されたりした。
やがて主催監督の家に呼び出され、「噂の原因を作ることは兄弟、あなたの側に問題があるのです。」と前面に出さ
れた。
確かに、貞潔さに根ざすクリスチャン会衆内にあって、集会帰りとはいえ、夜に独身の男女が2人っきりで歩くことは
“御法度”かもしれません。
しかし、会衆内の「噂の元である私」を問題視する以前にその「噂」(また、誤った情報)を広めている成員(殊に発電
所は自分の妻なのですから!)にはなぜ追求が及ばないのか、不満に思いました。

そんな状況下でしたので、彼女とは別れたく(変な関係は決してなかったのですが。)なかったのですが、特にこの長
老家族が居る限り、会衆から出て行きたいと思いました。
もっとも当時は、私と同年代の2世が会衆内にゴロゴロおり、異性との会話には親同士が神経質すぎるほどでしたか
ら。
こんな会衆内で「2人の愛を育み」なんて美しい言葉は、絶対に生まれないと感じました。

同時にその頃、会社の同僚から借りた「アダルトビデオ」と「アダルト雑誌」に夢中になりました。本来、性的なものに
目覚め始めたであろう中学時代当初から、それまで自分の中で否定し続けていた欲求が爆発したのでした。(22歳
にして、遅すぎる目覚めでしたが・・笑)

初めて視界に飛び込む“モノ”や“光景”に非常なる興奮を覚え、自分自身も、相当な出資をし、書店で購入したもの
をコッソリ部屋に持ち込んでいました。
案の定、異変に気付いた(本当に鋭いんですね。母親って。)母に見つかりました。
変な意味、聖書的な原則に反した罪悪感より、母を落胆させてしまった後悔のほうが先でした。長老団に申し出よう
か、事実を言わずに、これを機に会衆を出て行こうか考えた末、両親とも話し合い会衆には、「今の通勤時間がもった
いなく、勤務先の近くに引っ越して個人研究にもっと時間を充てたい」という言い逃れで、一人暮らしが実現。

「このまま自然消滅しようか」と考えだし、得られた開放感をやっと味わい始めたものの、しっかり移転先の会衆から
の手厚いもてなしに負け、そこの会衆に集うこととなった。(引っ越した意味ナシ!)
しかし約2年後、父の強い勧めで実家に戻り、またもや元の嫌な会衆に。
母を悲しませたくないという思いと、RBCによりリニューアルされた会館の音響のミキサー専属(またもや!)という
義務感だけで集会に集うことになりました。

“奉仕の僕”の資格を得られていれば、気持ち的にもプログラムを扱う中で、気が紛れたのかもしれませんが、毎月
の奉仕報告が「ゼロ」では、そんな資格が与えられるはずもなく、立場上単なる経験の長い「兄弟」だけでしたので、
群れの朗読と祈り、「塔」研究の朗読だけでマンネリ化していました。同年代は理由を公表されることなく、知らない
間に排斥や不活発になり、残っているのはオジサン、オバサン、そして見るからに生気がなく、“仕方なしに連れてこ
られた
2世の子供たち”ばかり。

お世辞にも柔和ではなく、口ベタで、流暢に話せている訳でもない、一般の会社でも間違いなく“ノケモノ扱い”されそ
うな「オジサン兄弟」が“奉仕の僕”や“長老”に任命され、プログラムを扱う際もお粗末なもので、聴衆も時々「オカシ
ナ表現」や「論点を外した解釈」に首をかしげるのも何度も目にしました。

もっとも、彼らが神権宣教学校にて第2の話を扱うべきです。そして、ふんだんに「努」記号を付されるべきです。
誰が5分以内で、@紹介の言葉 A割り当て聖句を朗読 B適用聖句の強調 C聴衆への励まし〜結論・・をこな
せるでしょうか。「意味の強調と抑揚」なんて当たったら、泣きが入りますからね。
強調する聖句の箇所を、力をこめてユックリ読みすぎると、たちまち最後には時間超過で「ピンポォン♪」ってチャイム
を鳴らされる訳ですから。

“ものみの塔”の研究記事も、単なる「質問と答え」の事務的な形式で、適用した質問もなく、「・・・と比較してくださ
い」という参照聖句からの、発展的な注解も求めようとせず、何ともたいくつな、言わば無駄な時間を浪費したと考え
ます。

現役大学生として引っ越してきた研究生が、程なくして“スピード献身“し、「正規開拓者」をとらえ、早期に“奉仕の
僕”に任命されました。
この発表のとき私は耳を疑いました。当然一切拍手しませんでした。彼は王国会館の外では、会衆内の悪口の絶え
ない、異常なる2面性の持ち主であるのを知っていたからです。

この独身の模範的な「兄弟」(私は決してそうは思わない)は、開拓奉仕の時間稼ぎに、いわゆる「自転車操業」た
る・・まず1軒目に自宅近くの留守宅に、会衆ビラを入れ(時間計測開始!)→自転車で最果ての区域ギリギリの留
守宅にビラ入れ→別の方角の区域最果ての最訪問宅にブロシュアーを届け→・・中略・・→最終は、再び自宅付近
の留守宅にビラ入れ(時間計測終了!)・・こんな時間の入れ方をしていました。

当然、純粋に時間報告をしている(良心的な)他の奉仕者とも出くわす訳で、これはまた会衆内で批判的な噂となり
ましたが(“噂”そのものも、問題。)
彼は主催監督には特に忠実で、気に入られていたため「奉仕会」でも、開拓者関連のプログラムを扱う際には優先的
に演台に立っていたと思います。

【自然消滅のいきさつ】
ある時、「職業上」「経験柄」という他会衆の長老の声がけで、巡回大会の音響担当を任命された。当時、大会の音
響部門のメンバーは「奉仕の僕」「長老」が大半で、特にミキサー操作なんかはもってのほかであったが、なぜか私
に割り当てられた。
(「正規開拓者」でもなく、何の資格もなかったのです。)

「ただ今、メインマイクの放音テストを行っております・・・各スピーカーからの音量・音質はいかがでしょうか・・」と今か
ら思えば、ぎこちなく、不自然極まりないシナリオのリハーサルも無事終え、プログラムが始まりました。

午前中のあるシンポジウムが終わり、歌の時に事件は起きました。
4番目まである歌を、3番までだと勘違いしていた音響の監督が、3番の終わりで「ミュージックダウン」の合図をした
のです。私はミキサーのオペレーションに専念していたので、賛美の歌の本は、大会宿舎に置き忘れてきたという、
別の「兄弟」に貸していました。
合図の通り“テープ@”の音量をダウンさせたとき、「エッ!!」という声が後ろでした後 「まだまだ、テープ上げて!
上げて!」と続きました。

あわてて音量を上げましたが、4番の伴奏が中盤から、不自然にも急にフェードインした形となり、とっさに巡回監督
が音響室に飛び込んできました。
「何があったのですか!!」と。
以下たった1分足らずの会話のやり取りでした。
----------
音響の監督: 「テープの音量を途中で下げてしまったんです。」
私: 「すみません。合図がありましたから、その通りに(音量)ダウンしたのですが。」
巡回監督: 「歌の本、持ってなかったのですか?」
別の「兄弟」: 「おおちゃくですよ、それ。」
歌の本を貸した兄弟: 「・・・」 何も言わず、擁護してくれませんでした。
----------
もう、体の中から力が抜けました。すべて私のミスであると背負わされた腹立たしさと、今まで組織に対する不満を持
ち続けながらも、こんな大役を与えられ、大失敗した事実にショックを隠しきれませんでした。
ミキサーのオペレータだけに渡される、部門専用のマル秘資料で、インタビューのシナリオやマイクの配置図や実演
のときの、ワイヤレス・インカムのナンバーのカラーマーキングがギッシリ書き込まれたマスターの資料を持って、私
は音響室を飛び出しました。誰からも追いかけられる気配もなく、車で近隣のコンビニまで移動し、それをゴミ箱にビ
リビリに破って捨てました。
そのまま夕方まで周辺をウロウロして時間をつぶし、自宅へと向かいました。

家に帰ると、母は普段と変わりなく、「あ、ご苦労さん。今日は歌のテープ、調子悪かったの?」という話し方でした。
意外にホール内の聴衆席では、通常の集会でもよくある「音響トラブル」のようなものと感じられていたようで、伴奏
が鳴っていない間も普通に歌われていたようです。その状況を聞いたとき、何とも言えない安堵感のようなものを感
じ、「もう辞めるよ」の言葉を言い逃してしまい、結局そのまま数週間後に地域大会を迎えることになりました。
またもや、音響部門の自発奉仕(自発的意思はなく、まったくの強制です。)に割り当てられました。

幸い(?!)巡回区・地域区の再編成に伴い「事件」を共に体験した巡回区の会衆とは全く“おさらば”できたのでした。
それならと思い引き受けたのですが、心の中でまた失敗することが怖くなり、大会初日、わざと渋滞の多い時間帯に
自宅を出発しました。どうせ遅刻すれば、誰かが代わりにミキサーをやるだろうと・・

渋滞は承知の上でしたが、気がつけば自分の車の走行車線が、予想外にも高速道路への進路で、自然と高速道路
に進入し走っていました。ふと、時計を見てプログラム開始10分前の音楽演奏の時間だと認識したとき、もう・・・な
ぜか涙が止まりませんでした。不思議なことに、今までの色んな「楽しかった思い出」だけが、頭の中を巡りました。
・・・しかし「もう、これで証人人生に、終止符を打とう」と思いました。

大会から帰宅した母に、簡潔に「もう辞めるよ」と言ったと思います。気配を感じていたのか「しばらく休んだら?」の返
事でした。その夜、「今の心境として、集会に集うことは出来ません。当分活動を休止いたします」という旨の手紙を
書き、主催監督にポストに投函しに行きました。

【それ以後の生活】
「無断欠席」ではなく、会衆組織に書面で意思表示したためか、短期間の休暇で、また戻ってくると思われていたの
か、長老は全く来ませんでした。

その直前の時期に、いずれにせよ気分一新したいという思いもあって、転職もしていました。そこでは、以前のような
人間関係で問題を抱えたくないと思っていましたので、集会にも行かなくなった分、精力的に仕事に打ち込みまし
た。仕事がこれほど楽しいものかと感じたのは、初めてでした。

中規模の会社でしたが、途中入社1年目で技術部の係長に、翌年27歳には課長に任命され、会衆内でかつて注目
された意味合いとは全く違う、一般社会で認められたという思いで、満足感を味わいました。(しかし現在はもう、その
会社を辞めていますが・・苦笑)

そして社内で、気になる女性に目がとまりました。過去に培った(貞潔な?)思いが交錯し、デートに誘うのに非常な
る勇気が必要でした。もちろん女性と「遊ぶ」という感覚はこの時も一切持てず「この世の」女性でしたが、最初から
結婚を前提とした交際を申し込みました。あっさり、彼女(今の妻)はOKしてくれ、交際を始めてから8ヶ月後に結婚し
ました。母は相変わらず(?)
「エホバの証人」でしたが、未信者の彼女との結婚を祝福してくれ、式は「人前式」スタイルで挙げました。

【結婚〜そして】
子供が結婚翌年に生まれ、娘のヨチヨチ歩きの可愛い盛り、愛する父が病気によって「帰らぬ人」となりました。
父は亡くなる数年前から、母の手前エホバの証人と友好的になり、巡回監督の宿舎まで提供を許可しました。
しかし、何とも息子である私までが青春時代を、他の独身者と同じように楽しく経験できなかったのを口々に残念そう
に言っていたものでした。

私は父の休みの日のほとんどは、「霊的な活動」に充てていたため、社会人になってからも、父とゆっくり語り合うこと
さえ出来なかったのです。
耐え難い後悔の念が自分に襲いかかりました。もっと早い時期に証人人生に終止符を打っていれば、せめて・・・・し
かし、もう遅いのです。

結婚と同時に家を建て、それぞれ実家とは別々の生活を送っていたのですが、精神的に日々弱り果て、やせ細った
母を、放っておけなくなり妻の同意を得た上で、実家に帰ることになりました。
4年経った今でも以前の家の夢を見ます。母は、亡くなった父とのかつて幸せだった日々を思い出しては、数日間寝
込んでしまうようになり、ついに「うつ病」の診断が医師から出され、抗うつ剤の投与を今も続けています。
もちろん集会へは行けておらず、時々義務感からか、近隣の再訪問先に手紙を書いて雑誌を届けに行っています。

会衆の特に群れの成員が、時々家にやってきます。「早く元気になってくださいね。」「頑張ってくださいね。」などの
声を掛けられるようです。
過去にも「目ざめよ!」で取り上げられていたではありませんか?そんな言葉が一番本人を傷つけていることを。その
成員は全く学んでいないということです。
「剣で刺すかのように・・」とは、まさにその成員当人では?と思うぐらいです。
一般人のほうが、よほど理解があると思います。

【後記】
長々と、述べてしまいました。もう書き出すと止まりません。

結果的には、自身は「自然消滅法」が正解だと確信しています。少なくとも私は、神への信仰や、神の律法に忠実で
ありたい・・という動機で、終始組織に留まっていたわけではなかった、ということがわかりました。

「会衆仲間」との関係、そして何よりも「母を悲しませたくない」、「理想のクリスチャン2世にならなければいけない」、
「いまさら排斥されたくない」という、ある意味「怖れ」によって束縛されていたのです。これは真の”敬虔な恐れ”では
決してありません。

宗教的に分裂した家族間に、真の幸福などあり得ないのです。
すべての夫婦が、結婚式を行った当初、将来自分たちは宗教上の理由で離婚するようになるとは、誰が想像したで
しょうか。
それが実際に多く観察される、「宗教グループ」のどこが「真の宗教」なのか疑問、いえ憤りすら覚えるのです。

かなりアツくなってしまいました。すみません。

さて、現在母は精神的な落ち着きを取り戻しつつあり、来年小学生になる私の一人娘と楽しそうに遊んでくれます。
元気になるとまた、「集会通い」が始まるのか・・とは想像したくもないのですが、今のやや不安定ながらも「平穏なひ
ととき」が続けばいいなと思います。
子供も明るい、そして気遣いを示せる、やさしい子に育ってくれています。

妻は、実家が創価学会で、結婚当初は「エホバの証人」としての母に相当なる抵抗を示しましたが、私自身の「かつ
ての」立場、「今の」立場も含めて理解してくれ、何よりも母との関係もうまく保ってくれており、本当に感謝していま
す。

【“サポクラ”サイト運営の皆様へ】
このたび、本サイトと出会うことができ、私自身の心の整理をつける大きな助けが得られました。誠に有難うございま
す。
今なお、本当の意味で父の愛に答えられなかったという、自責の念から抜けきれていない訳ですが、もう仕方がない
としか言いようがないのでしょう。

子供が父親(母親)の愛を必要とすると同時に、父親(母親)もそれに答え応じてくれる、子供の愛を求めているのは
言うまでもありません。
一児の父親となった今、精一杯子供に愛情を注いでやりたいと思っています。そして最愛の亡父の分も、家族の幸
せをこれからも味わっていきたいと思います。

貴重なお時間、乱文にお付き合いいただき有難うございました。

本来なら持たなくてもよい自責の念と戦いながらあなたは本当に精一杯生きてこられましたね。いつも思うことです
が「罪悪感」を持たせて人を支配したりコントロールするのがこの宗教の特徴です。あなたは幼い頃から母の愛にこ
たえ応じようとし同時に父親のことも気遣いながら置かれている状況の中で最大最善の努力を払ってこられたので
す。JWの子供であるということは普通の10代・20代の人が経験すること、感じることを置いてきぼりにし、気がつかな
いうちに失ってしまうことでもあります。子供時代というのはいろんな考え方や情報に接して成長していくものです。幼
い時からこれだけが正当な情報であって他はみな間違っているという環境の元に置かれて子ども時代を過ごせばど
うなるか、お父様はきっとそのことを心配されていたのでしょう。そのお父様の優しい我が子に対する気持ちをこれか
らも宝物として胸の奥にしまっておいてほしいと思います。そしてあなたが辿って来られた歩みはどれも正しいので
す。子供時代のご自分を振り返り、是非「よくやってきた」「よくがんばってきた」と健気な子どもの時の姿を思い出し
肯定し自分自身を褒めてあげてほしいと思います。親から宗教活動を押し付けられると子どもはどれほど苦しむか、
そして間違った宗教組織にかかってしまうとその教えが生きることよりも大切なことと思い込まされ、その結果どれほ
ど多くの人生や家庭を変えてしまうか…、「ものみの塔」の宗教にその全ての責任があります。現在は「平穏なひとと
き」の生活を送っておられるとのこと、嬉しく思います。これからも引き続きお母様を大切にされて幸せな家庭生活を
お送りください。それがいまだ現役生活に捕らわれている人たちへの最大の証言になると思います。


N049 投稿者    ミッキーさん     

「エホバの証人同士の離婚劇」

 私は、母親を通じてエホバの証人同士で離婚が成立し、以降も両人とも現役信者として活動をしていることを知り
ました。ある、20代の兄弟姉妹が、同会衆内で交際が始まり結婚に至りました。姉妹のほうが、兄弟に心底ほれて
猛アタックの末にエホバの証人流の交際が始まったようです。無事に?交際が進み、程なくして結婚に至ったのです
が結婚生活は約3年程だったようです。離婚後、兄弟は会衆に残り、姉妹が会衆を去りました。ちなみに、兄弟は1
世。姉妹は2世です。姉妹の母親も同じ会衆におられ、現在は姉妹の親と、兄弟は同じ会衆で、姉妹が会衆を去った
という不思議な状況です。離婚の真相は、兄弟の口から語られたものですが姉妹の精神病によるものからだったそう
です。

ここから、私の見解をいれます。

1 姉妹が、元々統合失調症をわずらっていたとした場合。

  兄弟は、病気については知らなかったといっているそうですが、結婚以前に両者が変な交際をしていることに、問
題があるのではないでしょうか?見合いより、簡単な形式で結婚するゆえにでてきた問題ではないでしょうか?もし、
結婚以前から病気を患っていたとするなら、結婚前にその事実を兄弟に伝えていない姉妹の側の責任は多いのでは
ないでしょうか?もちろん、確認という言い方にも御幣がありますが、兄弟にも責任がないわけではありません
が・・・。

2 結婚後に、統合失調症をわずらったとした場合。

  エホバの証人の中では淫行以外の離婚は認められていません。普通の家庭以上のすばらしい夫婦愛を目指し
ている証人同士であれば、病気を理由に離婚は認められません。確かに、統合失調病は個人差があるものの大変
な病気です。精神病に関わらず、夫婦のどちらかが病気になるともう片方にかかる精神的負担は増えてきます。しか
し、どんなに大変であっても、精神的負担がかかってこようとしても離婚が認められるなんておかしいです。兄弟が後
に「ほんとに耐えられなかった」とこぼしたようですが、完璧な愛を求めている集団であれば完璧に添い遂げるのが説
にかなっているのではないでしょうか?

3 兄弟はなぜ、離婚の理由を会衆内の人に話すのか?

  特例のような離婚をして、姉妹の母親姉妹も同会衆内にいる中で、どうして兄弟は会衆内の姉妹に離婚の言い
訳のようなことをするのでしょうか?自分を正当化したいがためか、もしくは同情をかいたいがためかにしか、私には
感じとれません。噂話が禁物であるなかで、自分のしたことで噂話がたっていること。おそらく、次第に尾ひれはひれ
ついていくでしょう。正しい行為ですか?と部外者ながら、つっこみたいです。これでは、普通の世間一般にある聖書
サークルのなかでの出来事のようにしか思えません。このような状況で、離婚したのであれば墓石まで持っていくの
が本来のエホバの証人の理想図ではないでしょうか?

私も現役時代は長かったのですが「淫行・姦淫」以外の理由による現役証人の離婚は聞いたことありません。私
の感覚では「ありえない」出来事ですね。ましてや「病気」を理由にわずか三年で離婚するとは、そしてその後も二人
ともエホバの証人を続けているということは、自称“神の組織”も“世の組織”と何ら変わらなくなってきたということで
しょうか。あなたもご存知の通りものみの塔組織はどちらか一方の「不道徳」以外に離婚は認めていません。中にい
た者なら分かると思うのですが、あの組織には幾つかの「鉄の掟」があり離婚に関する取り扱いもその中に含まれて
います。「神の民」とか「叙任された奉仕者」と自らを呼んでいますが地に落ちたものですね。特に男性側が離婚理由
を会衆内の人に話すことはこれはJW以前に人としての問題であって思いやりに欠ける行為です。



N050 投稿者    ミッキーさん     

「兄弟は動物のお医者さん」

 私の愛猫三匹と愛犬ちゃんは、現役の開業医の兄弟にお世話になっています。私は、とんでもない好奇心でこん
な機会はないと愛犬****の予防注射の機会に開業医の先生であり兄弟のところに突撃してきました。

兄弟の生活環境

☆現在開業から、約2年ほど。二年前までは、別会衆の同じく獣医の兄弟が開業している病院で雇われの身でし
た。現在、妻姉妹と、母親姉妹とともに経営を盛り立てている。

☆兄弟は、幼いころから神権家族で成長し、地元国立大学の医学部に進み獣医になる。そのころから、道をはずし
たことなく兄弟であり続けています。

☆隣の会衆の姉妹と結婚し、姉妹もアロマセラピーを学び、病院の中で西洋医学の一環としてアロマを動物にも薦め
ている。

 地元の会衆で開業し、兄弟として二束のわらじを踏んでいる傍ら、サーファーです。近くの海で趣味でサーフィンをし
ています。その証拠に、私は病院に隣接している自宅のところで愛車の四駆がボードをセッティングする使用になっ
ているのを確認しています。サーフグッズも庭先にありました。兄弟は、本業が忙しすぎて集会はおろか伝道などは
積極的ではない。そんなに忙しいのに、サーフィンはちゃっかりしているそうです。集会行けよ!奉仕しろよ!そもそ
も、なぜこの進学が不要だといわれていた時代に国立の医大にいけたのかが摩訶不思議である。現在、30代前半
であるということは、全く進学は勧められていなかった時代のはずなのに・・・。血の問題はどうしたんだろう???そ
れでも、兄弟でいつづけているからすごい!それに、別に医者でなくてもよかったのに、職業を医者にした意味がわ
からない。さらに、開業までしているからもっと意味がわからない。付け加え、コジャレた病院できちんとつくられてい
る。絶対に、お金がものすごいかかってる。寄付しろよ!!私の時代でも、高校は通信制か定時制。大学なんてもっ
てのほかで、進学がばれたら呼び出しの時代だったのに。

これもJW問題にかかわるものとしては興味深いレポートですね。「正直者が馬鹿を見る」と言いますが、結局組織
内を要領よく遊泳するものが「勝ち組」になるということでしょうか。大抵の誠実な信者たちは組織の勧める通り高校
卒業後はパートタイムの仕事をしながら開拓奉仕につきます。しかしいずれ経済的、身体的、精神的な限界に達し人
生の大きな躓きに直面するはめになります。30代40代になってもその躓きから立ち直れずに細々と会衆の片隅で現
役を続けているかつての開拓者たちを知っています。こんな話を聞くとどうしても彼ら彼女らのことが思い浮かび不憫
な気持ちになってしまいますね。たまに街で出会ったりすると笑顔なんですが「影」のある弱々しい笑顔なんですよ。
彼らが本当の意味で組織から解放されるのはいつの日になるのでしょうか。
ものみの塔組織はいわゆる「肩書き」にすごく弱いですね。私の知っている例でも医者をしている未信者の夫が研究
生からバブテスマを受けると即座に「奉仕の僕」「長老」へととんとん拍子に「出世」していきました。今回のレポートも
ものみの塔組織が「神の組織」ではなく単なる「人間の組織」であることを証明する貴重な報告です。
(注…愛犬の名前は身元を守るために伏せさせていただきました)



N051 投稿者    あづみさん     

 私は自然消滅してから早9年。中学2年まで伝道者として頑張っていました。やがて中学3年になり、受験も控えて
いたので当時よくつるんでいた同じ2世の子(以下A子)と一緒に塾に通いたいと親に頼み込みました。親はA子と一緒
なら…と渋々了承。ちなみにA子はとても模範的とは言えない、限りなく世の人に近い子でした(笑)その年の夏休み
からA子と一緒にいることが多くなり、私もA子的な考え方をするようになりました。A子以外の同じ学校の友達と遊ぶ
ことに何の抵抗もなくなってきたころ、私はA子に誘われデパートの雑貨コーナーで万引きしてしまいました。
 見事に私服婦人警官に見つかり補導。近くの交番で始末書?みたいなものを書き、罪悪感と親からの叱責の恐怖
で体を震わせながら親が引き取りに来るのを待っていました。当時私の父は奉仕の僕で、母は正規開拓者。母一人
で迎えにきました。交番で一発殴られました。当然です。家に帰り、書籍研究から帰宅した父と兄。泣きながら父か
ら何度も頬を殴られました。最後にはやはり聖書を開いて叱責を受けました。その時私は心の底から本当に悔い改
めました。
 長老2人の前で反省の表明をし、許してもらえました。これから霊的に成長して神に喜ばれる者とならなければ!と
前向きになっていた私。…しかしA子の母親が、全て私が計画し、A子をたぶらかせ犯行に及んだ!と根も葉もないこ
とを言ってきたのです。否定するも聞き入れようとしなかった。私は、どちらが先にやったかが問題ではなく、二人とも
重大な罪を犯してしまったのだから、これから先どうJWとして生きていくかが大切ではないかと思いました。でもそん
な偉そうなことを言える立場ではないと思い、中学生だった私はA子の母親に対する憤りを心の中にしまいました。そ
れからA子は完全にJWから離れました。彼女は小学生の時からそれを望んでいたので早かったです。私は家族全員
がクリスチャンだったこともあり、その後約3年間組織
に留まりましたが、集会に行く度A子の母親の顔を見るのが嫌でした。その間、私の父は長老に昇格。兄は奉仕の
僕に昇格。あとは私がバプ受ければ家族は満足だったことでしょう。
 しかし高校生になった私は『私も友達と寄り道して帰りたい!休日に友達と遊びに行きたい!合コン行きたい!み
んなのように彼氏がほしい』という思いが強くなり、徐々に集会や奉仕に参加する回数を減らしました。“世の子”にな
りたかった。…あれから9年。今は実家を出てとても楽しく充実した独り暮らしを満喫しています。やっぱり世の人とし
て生きるのは楽です。親は相変わらず熱心な信者で、今だに私に対する希望を捨てていません。私が戻ることを信じ
ています。…私は、熱心なプロテスタントの彼と結婚するのに…。父は平信者に降格するのでしょうか。
くだらない私の半生を読んで頂きありがとうございました。

貴重な半生を投稿してくださり心より感謝いたします。親にすべてを依存している子ども時代。親にあがらうことが
できずに嫌と思うことでも従わざる得なかった時代。さぞ辛かったことでしょう。悲しい思い、悔しい思い、辛い思
い・・・あなたは人一倍経験してきているのです。子ども時代にあなたが持たれた感情や行動はすごく普通のことで
あり、自然でありかつ健康的なことだと思います。それをうまく理解してあげられなかった、また画一的な教育法で押
さえつけようとした親に、ひいては組織に大いに問題があります。そんな子ども時代の自分自身をまず慈しみ「よくや
ってきた」と褒めてあげて下さい。人生はいつも現在進行形、これから先の人生にはもっと違ったいろんなものが用意
されていると思います。現役の親族のことは気にすることなくあなたはあなたの信じる人生を歩んでください。明日に
準備されている希望を信じて。



N052 投稿者    東北地方のある若者より

 はじめまして。私は約10年前まで東北地区の、とある田舎で伝道者(バプテスマは受けていない)をやっていたも
のです。  私は母がバプテスマを受けていましたので、半ば強制的に姉、弟と共に集会に参加させられておりまし
た。 父は時折公開公演に参加したりもしましたが、どちらかというと批判的でした。 
 
 私が姉・弟と共に定期的に集会に参加するようになったのは5歳あたりからでしたので、当然小学校の友達と遊ぶ
ことは殆ど無く、周囲からみれば変わった小学生でした。 祭りに参加しない、校歌を歌わない…などありましたの
で、そのことで同級生から悪口を言われたりもしました。 しかし私は体が大きかったので、悪口を言う同級生に鉄拳
制裁を加えておりました。それが母にバレると、母と長老兄弟からキツいお叱りがありました。この頃はまだ自我が
発達していなかったので暴力を振るった自分が悪いのかなぁ と反省していました。  また、私は漫画と野球が大
好きだったのですが、「こち亀」や「ドラゴンボール」などの漫画は見るな!と言われていました。こっそり買ったのが
見つかると、ことごとく捨てられる&愛の鞭です。 地区の少年野球も「世との交わりになるから」と言われ、参加でき
ませんでした。 この頃から不満は大いにありましたが、年齢も若かったこともあり、しぶしぶ参加していました。 
 
 中学生になる頃には伝道者として活動していた時期もあり、音響とマイク担当係にもなりました。 しかし荒れてい
る中学校に通っていたこともあり、俗に言う不良の生徒と付き合うようになりました。 この頃から学校での顔と家族
や会衆にみせる顔の裏表の差が激しくなっていき、急速に世の人化が進行していきました。  普段は特にバレるこ
とは無かったのですが、3者面談のときに先生から裏の悪事が母に伝わると、またしても母と長老からの説教で、う
んざりでした。 彼女がいることがバレても同様の説教でした。 中学3年生の時にピアスをばれないように開けたの
ですが、バレて音響係からはずされました。 また奉仕の時に比較的年代が近い隣の会衆の兄弟をパートナーにあ
てがわれ、「今は中学校が楽しいと感じているかもしれないけど、会衆の兄弟姉妹と交わる充実感に勝るものはない
って気付くようになるよ!」みたいな話を奉仕の度にされました。  このころになると夕方の遊び疲れが出るため集
会では寝まくりでしたが集会は火・木・日と欠かさず(強制的にかな?)参加していました。  高校受験が近づくにつ
れ、模試や学校の宿題が大変なときには集会を休んでもあまり文句を言われないことに気づきました。 そこで私は
勉強の忙しい進学校に入ってしまおう、そして集会を堂々と休もう!と考えまして、勉強に勤しみました。
 
 高校は計画通り勉強の忙しい高校に決まり、高校生活がスタートしました。 勉強が忙しいことに加え、通学時間
が片道40分掛かるので堂々と集会を休めました。 高校生になると集会参加は日曜だけになっていました。 若い
兄弟姉妹が時々レクリエーションに誘ってくれたり、長老兄弟が牧羊訪問に訪れてくれましたが、このままフェードア
ウトしようと思っていてのでいろいろ理由をつけて一切参加しませんでした。 大学受験が近くなるにつれて日曜も集
会に参加しなくなり、遂にフェードアウトを成し遂げました。 結局現役生のときは受験に失敗して浪人することになっ
たのですが、初めて親元を離れた一人暮らしで、「もう会衆に戻ることは二度とないだろ」と確信しました。
 
 現在は同じ東北圏内の大学に通っており、エホバの証人との関わりは全くありません。 ‘世の人‘の生活を満喫し
ております。  また、母は相変わらず信者なのですが、姉は高校進学をきっかけに、弟は留学をきっかけにフェード
アウトし、完璧な世の人となりました。 むしろ私たち3兄弟は普通の世の人以上に世の人になってしまいました。 
   
 
 以上が私の自然(計画?)消滅体験です。  他の人達も体験記でふれているように、信者個人はいわゆる‘いい
人‘が多いのですが、あまりにも強烈な選民思想、中学生にも分かるほどの矛盾がある教理、裏表のある兄弟姉
妹、幼稚園や小学校という小さい子供の人格を形成する大事な時期に他の子供との交流を断ち、結果として社会不
適合者を作り上げてしまいかねない方針・・・などなど、在籍していて悪い部分が目に付きました。 これから先もこの
人達と関わることは無いとは思います。 余談ですが、私は来年から医療現場で働くことになるのですが、医療従事
者の立場から見ても手術患者としてエホバの証人が来てしまったら大変だな〜と思います。輸血には大きな危険が
伴うことは正しいのですが・・・

あなたの大変貴重な消滅体験談のご投稿、有り難うございました。これから、自然消滅を果たそうとする多くの現
役JW方たちへの、そしてすでに組織を離れているものの持たなくてもいい「罪悪感」のようなものに悩んでいる元証
人たちを大いに勇気付けるものです。偽りの組織から脱出してきた皆さんが堂々と自分の人生を自分でプロデュース
しながら主体的に生きられますように、そして心軽やかに人生を楽しめますように願って止みません。
お母様がエホバの証人でなかったら経験せずにすんだであろういろいろなことを乗り越えて、ご立派な社会人に成長
なさったあなたを「よく頑張りましたね!」と賞賛致します^^
<<余談ですが、私は来年から医療現場で働くことになるのですが、医療従事者の立場から見ても手術患者としてエ
ホバの証人が来てしまったら大変だな〜と思います。輸血には大きな危険が伴うことは正しいのですが・・・>>
どうぞこれからもあなたの力の及ぶ範囲で頑張ってください。医療現場はTVドキュメンタリー番組で見ていて思うの
ですが、かなり体力が要るお仕事のようです。ご自分のお身体もご自愛なさりながら、これからのご活躍とお幸せを
願っております。(ハンドルネームが書かれてありませんでしたのでこちらで「東北地方のある若者」とさせていただき
ました。ご了承くださいませ)






N053 投稿者    北海道出身のある若者の体験談

私はJW2世の自然消滅者です。
 
現在25歳ですが、私の半生について投稿させていただきます。
 
 私の両親はもともと世の人でした。両親が結婚後、たまたま里帰り出産していた母方の実家の隣家がJW家族でし
た。そのため、初めての出産で初めての子育てを経験する母親に子育てに関する出版物を提供してくださりそこから
母親はJWに興味を持つようになりました。
出産後、札幌へ戻り母親は地元の会衆に参加するようになりました。そのころ父は反対者でしたが、不干渉を貫い
ていました。
 しかし、毎週毎週まだ赤ん坊の私をおぶって集会に参加する母親を見かねた父は、車で送り迎えするようになりま
した。
 そこから父はだんだんと軟化していき、私が小学校に上がる前には父親もバプテスマを受けました。
弟と妹も誕生し、神権家族となりました。
 幼い頃は特に疑問を抱くこともなく過ごしていました。しかしながら、小学校に上がり高学年になってくると…信仰ゆ
えの制限事項の為に虐めに遭うようになりました。しかし、私は親に心配をかけさせたくない一心でそれを決して明
かしませんでした。
中学校へ進学した頃には、完全に裏表のある生活へと転がり落ちていきました。部活をしたりしている同級生たちが
羨ましかった…
 
 校歌の授業では校歌を歌い、国旗に敬礼しました。永遠の命など私には何ら魅力のあるものではありませんでし
た。柔道だけは、柔道着を買わなければならず証言せざるをえませんでしたが…
 
とりあえずは、模範的なJWを演じ切りました。
 
 高校進学の時に、私の親は元々高等教育を受け市内のトップ校に通う様な人でした。同じ会衆では、全時間奉仕
のために高校卒業後はパートタイムの仕事をしてパラサイトシングルとなる若い人が圧倒的に多かったものです。し
かし私の親は「信仰は自分の足でしっかりと立って築かなければならない」と考え、きちんとした教育を受けて、自活
できる職業に就き、親から独立した上でJWを続けることの方が神は喜ぶと考えました。たしかに、会衆内のパラサイ
トシングルたちは、奉仕者としては立派であっても、親は大体は片親がJWで、未信者の親が大手企業などに勤め経
済的に余裕がある家庭ばかりでした。親が亡くなったら彼らはどうやって生活するのだろうといつも疑問に思っていま
した。会衆内でもそういうパラサイトシングルはだめだと考える親の世代は少数ながらおり、私の両親はそちらの派
閥と仲が良かったのも影響したため、JW2世の中では幸運でした。
中学校2年生の頃に父親が長老に任命されました。長老家族ということもあり、会衆では家族の行状も厳しく見られ
るようになりました。ちょうどその頃に私もバプテスマを受けさせられました。
 
 しかし、私は両親の薦め通り札幌市内でも有数の難関校の試験を突破し、見事入学を果たしました。
そのことにより、会衆内では我が家に対する陰口が囁かれていたようです。私の両親はそれを子供たちに伝えない
ように気を遣ってくれていましたので、当時の私は知りもしませんでした。
 
 ある時、元巡回監督という特別開拓者の夫婦が会衆に赴任してきました。彼らは非常に古い考えを持っており、私
はすぐに攻撃の対象となりました。
巡回訪問では必ず巡回監督による「援助」を受けさせられ、しきりと全時間奉仕を薦められましたが、私はいつもきっ
ぱりと「自分で自活もできずに信仰を保ったところで、神はそれを望んでいるのですか?」と切り返していました。これ
が彼らの逆鱗に触れたようでした。
私の弟も医科大学へ進学し、今では研修医としてがんばっています。妹も高等医学教育を受け、リハビリ師として働
いています。
 
父は長老会議でもしばしば苛められ、別の派閥の姉妹たちからも嫌味を言われていたそうです。
 
 高校へ通う中、私の心は確実にJWから離れ始めました。
何かと扱われる信仰に対する「本人の自由意思」というものが、いままで一度も意思表明をする機会が与えられなか
ったのです。確かに聖書は良いことを書いていると思います。別に信仰はありませんが、おそらく純粋に聖書の記述
に対して敬謙に生活するなら、立派な人格は形成できるとは思いますが、組織のやり方は聖書的とは思えませんで
した。
 
 さすがに思春期ともなると、蔭口なども耳に入るようになります。父親や母親が会衆でどんなに虐めにあっているか
はよく知っていました。父親は全時間の仕事をしている中で、長老としての責務を務めており、週末は奉仕に参加す
るというとても献身的な信者でした。私から見ても父はとても真面目でした。
 
 しかし、ある時に巡回監督から「目標は?」と聞かれたことがありました。私は正直に「良い会社に就職することが
今の第一の目標です」と伝えました。すると巡回監督は激怒したようで、父は叱責を受けたようでした。それまで私を
守ってくれていた父親は、今回はそうはいかなかったようです。
父親に呼び出され、「目標がないとはどういうことだ?」と激しく怒られました。その時、私はもう親は信じないと心に
誓いました。
 
 私は高専に通っていたため、卒業は20歳でした。本来ならさらに高等教育を受けたかったのですが、少しでも早く
親から離れたかった…だから、卒業と同時に就職できるように仕事を見つけ、早々に家から出ることを計画しました。
しかし、部屋を借りるにも保証人の時代です。親は私を遠くに離すまじとして、実家からさほど遠くない場所にアパー
トを借りさせられました。従わざるをえませんでした。
場所は両親の会衆とは別の会衆の地域であったのですが、両親は勝手に越境(別の会衆の管轄地から通う)の許
可を取り付けてしまいました。つまり、集会の度に帰らなくてはなりませんでした。
親には少なからずの恩義を感じているため、従わざるを得ないと感じ文句は言いませんでした。いつだって私はいい
子だったのです。
 
 幸いなことに、会社は厳しく毎日21時ころまで残業というところでした。つまり、平日の集会は参加できませんでし
た。しかし、日曜日だけは参加していました。
でも、22歳にして会社でも役職をもらい、土日も出張が多くなってきたため集会に出ることができなくなってきました。
そのうちに集会に行くことも減ってきました。私はこれはチャンスだと思いました。
JWではあり得ないとされる真っ赤な外車のオープンカーを購入し、集会に行く時もそれに乗っていくようになりまし
た。もちろん会衆内では不良の様な扱いですw
 
 しかし、不幸なことに会社が倒産してしまいました。車のローンを抱え途方にくれるしかなくなり、親が援助してくれ
ることになりました。条件として集会などにきちんと参加することと。
一年ほどは耐えました。でも、やはり信じてもいないもの、そして何よりも強制された活動などは私の心をむしばむだ
けでした。どうにかして逃げようと思っていた矢先に、たまたま自衛隊の募集があり、応募しました。見事合格し、自
衛隊の寮に入ることになりました。
この時点で排斥決定だと私は喜びましたが、親は「排斥になったら、口も聞けないことになるから、みんなには黙って
おく」ということになってしまいました。まあ、それでもJWから離れることに成功したと思いました。ただ、未だに在籍
があるのが残念でしょうがないのですが…
 
 しかし、やはり自衛隊員として生きている私は、親の良心が許さないようで、自衛隊は長期休暇をもらうことが年に
三度ほどありますが、実家には来ないでくれと言われる始末でした。かといって駐屯地に居続けることもできないた
め、休暇なのに、しかも地元なのに休暇中はホテルで過ごす羽目になりました。
なんだかおかしいなと思いつつ…
 
 丁度訓練中にけがをしてしまい、自衛官として問題を抱えてしまうことになりました。そこで私は新たな別の会社へ
の就職を決めました。その会社は採用と同時に東京へ転勤になる会社でした。
就職を決め、ついに親と対決することになりました。
 
 生まれて24年。最初で最後の親への反攻です。
親にすべてぶちまけました。この24年、JWとして強制されて生きてきたことがどれだけ辛かったことか。そして、一度
として自分の自由意思など顧みなかったこと。恩義は感じていても、JWに関しては今後絶対に許すつもりもないほど
に親を怨んでいることを。
私は親に勘当を突き付けました。
 
そして、26の今東京で堂々と世の人として生活しています。来年からは彼女と同棲し、お金がたまったら結婚もしま
す。
失った青春を、今一生懸命に取り戻しています。
 
札幌に帰る時も、ホテルを借りて実家には一切知らせません。
 
 私は、JWとの決別のために親を捨てました。2世問題で悩む現役JWは多いと思います。でも、JWのことしか考えず
「自分の自由意思」を尊重しない親の為に自分の人生を不意にする必要はまったくないです。
自分の為に生きてください。邪魔をするなら、親でさえ捨ててしまってください。そして、親が困った時に助けてやって
ください。
JWではなく、JWを捨てたわが子が最終的には親を救うという皮肉を、JWに見せつけてやってください。
 
私は、もし親が倒れたらそうしてやろうと思っています。

神権家族の中で模範的でなければならず自由な考えも行動も許されない子ども時代、やむなく裏表のある生活を
しなければならなかったのは辛かったことでしょう。いつも思うことですが、天井の低い部屋に入ると、実際にはぶつ
からなくても、無意識に首を縮めてしまうことがあります。人の心を縛る鎖はそれとよく似ていると思うのですが、もの
みの塔の教えもちょうどこれと同じで、人の心を縛る鎖そのものです。組織内には様々な不文律が存在し、それを破
ると周囲から白い目で見られたり、自分自身も罪悪感を感じてしまったりしてしまいます。しかし大切なこととして、あ
なたはそうした心理的束縛に気づいてしっかりと行動を起こされたことはとても立派なことだと思います。気づこうとせ
ず最初から仕方ないと諦めたり、これでいいんだと自分の感情を押さえ込んだりする人には葛藤は起こりません。逆
に言うなら葛藤のない人には成長はなく、あなたのいうパラサイトシングルの開拓者たちは、それを続けている限り
人としての成長はないでしょう。あなたが2世として抱え込んだ悩みや気づきは「エホバの証人」という組織の束縛か
ら脱出するためのスタートとなったのです。「神権家族だからダメ」とか「親のことを考えると…」などと考えず「私は自
分の人生を生きるんだ」と言い聞かせて努力を払ってこられたあなたに心からの拍手を送り、尊敬と敬意を感じます。
どうぞこれからも地に根を張った生き方を追い求め幸せな家庭を築いてください。そして、あなたの仰るとおり現役で
あろうとなかろうとご両親を助けるべき時が来れば助けてあげてください。それが人の道なのです。

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