《特別寄稿B》

最近の王国宣教の記事から
―現在自然消滅中の方の独り言―

※この記事は先月五月に投稿された「ある元エホバの証人の独り言」として紹介していたものです。今回「特別寄稿
コーナー」の設置に伴い、こちらに移動しました。


2003年2月1号第二研究記事から

16節: 会衆と接しなくなった人は,霊的な意味で疲れ切っていることでしょう。その人は,羊飼いからはぐれた羊のよう
に,冷酷なこの世を,あてもなくさまよってきたかもしれません。クリスチャン会衆という囲いによる保護がないので,「ほ
えるライオンのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしてい(る)」悪魔の攻撃にかつてないほどさらされていま
す。(ペテロ第一5:8)さらに,霊的な食物を取っていないので弱っています。そのため,会衆に戻る途中で邪魔な物に行
き当たると,自分一人では越えられないでしょう。ですから,わたしたちはいわばかがみ込んで弱い人を優しく抱え上
げ,運んで連れ戻さなければなりません。(ガラテア6:2)そうするためには,どうしたらよいでしょうか。

●この記事では「この世」のことを「冷酷」と表現しているが、なぜいつも「この世」のことを冷酷と決め付けるのか。わ
たしは親切な人々や誠実に一生懸命に生きている人々も大勢知っている。このような言い方は明らかに現役信者に
「この世」は冷酷な世界とマインドコントロールをかけているいつもの手段。私の知る限りではものみの塔組織のほう
がよっぽど「冷酷」である。

●「会衆と接しなくなった人は、霊的な意味で疲れきっている」・・・嘘を教えないで頂きたい。「霊的」とは具体的には
何を指しているのだろうか?。焦点をぼかすために使用されているようである。わたしが現役のころ会衆には、いや同
じ巡回区の会衆にも「精神的に」疲れきった人が大勢いた。その中には専門の病院に診てもらわなければならない
ほどの人たちもいた。ひどく落ち込んだ表情をして苦悩している人もいた。誰彼かまわずに高い規準の要求を押し付
けたり、子どもには「ムチ」という名の虐待を与え、「この世」や「未信者との家族」との間には大きなストレスとなる教
理を置いたのは組織ではないか。これは明らかに「会衆と接しているから現役証人は精神的に疲れきっている」と言
えるのであり、ありのまま正直にそのように書き換える
ことがせめてもの償いではないか。

●クリスチャン会衆という囲い・・・囲いではなく「檻」と言い換えたほうがふさわしいだろう。自由がなく組織の言いな
りの生活様式しか認められずみんな同じ思い同じ考えを持つことが要求される。それは「一致」ではなく人間の奴隷
化・家畜化。○○○将軍様に支配されているどこかの国とよく似ているのではないか。

●悪魔の攻撃・・・心配ご無用。離脱して5年、10年たっている人もいるが「悪魔の攻撃」と思われるようなものは受け
たことがない。毎日平安に暮らしている。

19節: こうして,この例えの詳細な点を考えると,弱いクリスチャンを援助するという聖書的な責務を果たすのはわたし
たちの能力を超えたことではない,という点が分かります。同時に,それには努力が要ることも理解できます。だからこ
そ,使徒パウロはエフェソスの長老たちに,「このように労苦して弱い者たちを援助しなければならない」と述べたので
す。(使徒20:35前半)覚えておきたい点として,この女性の場合,家の中のあちこちをざっと見たり,何かのついでに時々
見回したりするだけでは硬貨は見つかりません。「見つけるまで」組織的な仕方で捜すから見つかるのです。同様に
わたしたちも,霊的に弱い人を連れ戻そうとするとき,真剣で,目標を見据えた取り組み方をする必要があります。では,
どんなことを行なえるでしょうか。

●「弱い人」・・・この記事全体を通して「弱い人」という表現が頻繁に使われている。これは組織から離れていった人
間は「弱い人」というレッテルを貼ることにより現役を牽制すると同時に「離れた人間」を一段見下げた立場に置くこと
により優越感を持たせている。しかし「離れた人」は本当に「弱い人」だろうか?。とんでもないと言いたい。彼らは極端
で荒唐無稽な教理に縛られ徹底的に苦しめられても、マインドコントロールを断ち切り、恐怖や偏見をものともせず、
カルト宗教からの脱出を敢行した勇敢な人々なのである。だから「弱い人」ではなく「勇敢な人」と訂正してもらえない
だろうか。

20節: どうすれば,弱い人を援助して,信仰と認識を築き上げることができますか。クリスチャンのふさわしい出版物を
用いて個人的な聖書研究を行なうことが必要かもしれません。そのよう
にして弱い人と聖書研究をするなら,一貫かつ徹底的な仕方で援助することができます。必要な援助をだれが行なう
かを判断する一番良い立場にいるのは,おそらく奉仕監督でしょう。奉仕監督は,どんな論題を研究するか,どんな出版
物が最も有用か,といった点に関して提案をするかもしれません。例えに出てきた女性が有用な道具を用いて成功を
収めたのと同様,今日のわたしたちにも様々な道具があり,それを用いて,弱い人を援助するという神から与えられた責
任を果たすことができます。この点で特に役立つ道具は,二つの新しい出版物,つまり「唯一まことの神を崇拝する」と
いう本と「エホバに近づきなさい」という本でしょう。

●「個人的な聖書研究」・・・書籍に書かれてある通りにしか答えられない。組織の筋書き通りにしか答えがない。あ
れが果たして「研究」と言えるのだろうか?。どう考えても一方通行
の道に誘導していく「マインドコントロール」としか言いようがない。相も変わらず昔からおんなじ方法でやっていても、
一旦離れた人の心はつかめないだろう。いずれにしても、「弱い人」という言い方はやめてくれ。バカバカしすぎてかっ
ては信じていたものの、その独りよがりの記事にこちらが恥ずかしくなる。

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