《特別寄稿@》

人はどうしてエホバの証人になってしまうのか
―――元エホバの証人による観察―――

  わたしはほぼ20年近く前にものみの塔聖書冊子協会から派遣されてきた特別開拓者と聖書研究を始め約1年
程度の研究ののち信者、つまりエホバの証人となった者です。
現在は全く交わっておらず、エホバの証人としての活動も休眠状態になっています。最近、近くの書店で偶然見つけ
た「マインドコントロールの恐怖」(スティーブ・ハッサン/著・恒友出版)に関心を引かれ、購入して自宅でゆっくり読ん
でいると、あまりにもエホバの証人になった自分と尚且つ信者となられる人々の、その過程においてぴったりと当て
はまる部分が多く、今回私なりの考えをまとめてみることにしました。

  この本は「カルト宗教」について述べられています。しかしわたしは個人的に感じることはあっても、この手紙の中
では、ものみの塔がカルト宗教であるとは断定はいたしません。人それぞれ考え方や感じ方は異なります。それゆえ
わたし個人の考え方や意見を読者の皆さんに押し付けるようなことはしたくないからです。また、わたしはある点では
ものみの塔聖書冊子協会に世話になった部分もありますからその恩を仇で返すようなこともしたくありませんし、ほと
んどの信者たちは誠実に信じている人が多くいることを知っています。今でもそのような人たちとは「敵」ではなく「友」
として見ています。その「友」が所属している宗教を悪く言いたくはありません。

  しかしながら私がそうであったように、この宗教ゆえに多大の苦しみや苦悩を背負い心身ともに深く傷ついている
人たちが存在するのも紛れもない事実です。それでその人たちのために、またこれから入信するかもしれない人たち
のために、冷静に考えていただきたく、今回このような手紙を書かせていただきました。

  この本の中に「マインドコントロールの四つの構成要素」(p113)なるものを著者は列挙しています。今回はこの部
分が「ものみの塔」が常套手段としている手法とどのように当てはまるのか、私なりに気付いたことを書いてみましょ
う。

「マインドコントロールの四つの構成要素」(p113)
@行動コントロール…メンバーに対して非常に厳格なスケジュールを定め、毎日相当量の時間がカルトの儀礼と教
え込みの活動に使われる。・・・自分の自由時間と行動を制限する結果になり・・・メンバーはいつも何かすべきことが
ある。

A思想コントロール…メンバーに徹底的な教え込みをしてそのグループの教えと新しい言語体系を身につけさせ、
自分の心を「集中した」状態に保つため思考停止の技術を使えるようにすることである。すべてを「白対黒」に分ける。
良いものすべては彼らの指導者とグループに体現しており、悪いものすべては外界にある・・・彼らはいかに「考えな
い」かを学ぶにすぎない。

B感情コントロール…人々をコントロールしておくのに必要な道具は「罪悪感と恐怖感」である。

C情報コントロール…多くの全体的カルトでは、人々はカルト以外の新聞、テレビ、ラジオには最小限しか接しな
い。これは、一つには彼らが忙しすぎて自由時間がないためである。それでも彼らが何かを読むとしたら、それはカル
トが作った宣伝物か、・・・検閲された資料である。

  では元ものみの塔信者として20年近く組織内で過ごし過ごし、また指導的立場から内部をつぶさに見てきた者と
して、上の定義とものみの塔の「教え・手法」がいかに合致しているかをこれから述べたいと思います。

@行動コントロール
ものみの塔の手法…キーワードは「孤立」(行動コントロールすることにより周囲から孤立させる)

 一人一人の個人には様々な"つながり"(家族・友人・学校職場・地域コミュニティーなど)があります。ものみの塔は
いかにそれらの「つながり」を切って人を孤立させるかに腐心しています。
その1つは、集会や伝道活動をどんどんさせていく。救われるには集会出席と布教活動が不可欠、でないと滅ぼされ
るという論法です。

 例えば、主婦の信者の場合、すべての集会の出席やそのための予習の時間、加えて布教活動に費やす時間など
を合計すると日常生活のかなりの時間の比重をものみの塔の何らかの宗教活動で占められるようになります。

 毎日相当量の時間が、集会・個人研究・伝道活動などに使われ、その結果個人個人の自由時間がなくなり行動を
制限することになり信者はいつも何かすべきことがあるという状態に追い込まれてしまいます。

 現役の方は一度冷静に考えてみてください。毎日「日々の聖句」を討議すること、「個人研究」や「家族研究」をする
こと、それに加えて「集会の予習」や「割り当ての準備」、「家から家の証言活動」や「非公式の証言活動」。確かに非
常に厳格なスケジュールが定められていませんか?。

 私自身、現役時代「なぜこんなに忙しいのか」と思いつつも立ち止まって考える余裕すらなく、次から次へとスケジ
ュールをこなしていました。その結果親族との交流は希薄になり、いわば「家族から切り離された状態」になっていま
した。これはものみの塔が用いるテクニックの一つという気がします。
忙しくさせることによって、家族とのつながりを切断させてしまい「孤立」させるのです。

 行動のコントロールといえばもう一つあります。研究生初期の頃から職場の同僚や友人などに積極的に「非公式の
証言」をするようにと勧められます。表向きは「人の命を救うため」とか「地上の楽園」という素晴らしい希望を分かつ
ためなどともっともらしいことを言います。
しかし実際には非公式の証言をしょうものなら、たいていは同僚や友人から警戒されまたは嫌われてしまい、以前の
ような親しい付き合いはできなくなります。
ここでは「友人・知人」というつながりが断たれてしまい孤立させられてしまうのです。

 さらにはそれまで親しくしていた近所付き合いや自治会活動、PTA活動なども自然と疎遠になっていきます。なにし
ろ集会出席やその予習のための時間、それに月に50時間とか70・90時間と伝道活動をしなければならないからで
す。その上「世との交友は神との敵である」とか「悪い交わりは有益な習慣を損なう」と常に教えられ、地域的なコミュ
ニティーとの交友にたいして「罪悪感」を持たせるように仕組まれています。  
わたしが現役の頃は集会を休んで自治会の清掃活動に参加することや野外奉仕を支持せずに近所の人とお茶を飲
むことなどは「もっての他」という雰囲気でした。(最近ではこのような批判をかわすために年に1・2度の清掃などの自
治会活動には参加するようにと勧められてきています)。
これらも行動コントロールの一つで近所付き合いからの孤立化を促している結果になります。

 このような孤立化は大人だけではありません。子どもたちの世界にも見事なまでの行動コントロールがかけられて
おり子どもも学校や地域社会から孤立させられています。例えば幼稚園や学校では・誕生日会ができない・七夕祭
りやひな祭りなどの行事に参加できない・校歌が歌えない・運動会では騎馬戦やある種の踊りには参加できない・
格技はできない・生徒会活動や選挙はできない・運動倶楽部は勧められていない…などなど実に多くの「できないこ
と」があり、その結果子どもらしい交わり、交友ができなくなり完全に孤立してしまうのです。
それだけではありません。子どもたちには学校でも「証言」することが求められています。自分の宗教がいかに正しく
て素晴らしいものであるかを、またなぜこの行事には参加できないかを、先生に、そしてクラス全員の前で、さらには
個々のクラスメートに証言しなければならないのです。大会などでは"模範的"な子どもが演壇に登場して「学校で非
公式の証言をして○○件の研究を司会しています」とか「クラスメート全員の前で自分はなぜ学級委員の投票に参加
できないのかをうまく証言してみんなに納得してもらった」というような経験がよく話されます。
みんなの前で証言してうまく行く子もいれば、結局理解が得られなかった子、証言すらできない子、証言はしたがそ
の反動として無視やいじめに会う子、証言できず自分はダメな人間だと自分を責める子、大会で話される1つの成功
例の陰には、実に多くの悲劇が隠されているのです。いずれにしても、このようにして子供達にも行動コントロールが
かけられて学校・友達というつながりから切り離されていくのです。


思想コントロール
ものみの塔の手法…キーワードは「白対黒」(思考コントロールすることにより自ら考えることをなくさせる)

 本文の中には「メンバーに徹底的な教え込みをしてそのグループの教えと新しい言語体系を身につけさせ」とあり
ます。
家庭聖書研究・個人研究・家族研究・ものみの塔研究・書籍研究・神権宣教学校・奉仕会・公開講演と一週間のス

 パンの中でも実に多くの徹底した教え込みのスケジュールがあり、その上に「兄弟・姉妹」「霊的家族」「霊的か肉
的か」「エホバ」「サタン」「王国」「神権支配」「バビロン」「自発奉仕」などなどそれまでになかった全く新しい言語体
系を身につけさせられ、いつのまにかその「特殊な言語」というフィルターを通して物事を見・考えるようになってしまう
のもエホバの証人の特徴です。

 その狙いは何でしょうか。それは思考をコントロールすることです。思考をコントロールすることにより、ここでは「白
対黒」という表現になっていますが他に色んな選択肢があるにもかかわらず、「二つに一つしかない」と思い込ませ信
者に二者択一を迫っているのです。
他の言い方をすると「善か悪」か、「エホバかサタン」かという二元論というテクニックをものみの塔は使っているので
す。
実際に研究生が家族の反対にあった場合、「信仰を選ぶか、ご主人を取るか」と迫られることがよく生じます。
この背後にあるのは「エホバを選ぶかサタンを取るか」「正義を取るか悪を取るか」を会衆の成員の注目する中で選
択しなければならないのです。

 行動コントロールのところで述べたように、家族・友人・地域コミュニティーなどの人間関係を絶たれて孤立化させら
れた状態で、この選択に直面すると人はほぼ間違いなく「エホバ」を取ります。逆に言うなら、まだ完全に様々な人間
関係が切られていない時にこの選択を迫られると「家族」の方を選択して研究を中断したり、それまでの進歩が急速
に遅れることがありました。

 他にも様々な二者択一の選択に直面します。「信仰を選ぶか仕事を取るか」「信仰を選ぶか恋人を取るか」「信仰を
取るか親や子どもなどの身内をとるか」。この白黒思考の最終的に行き着くところが「信仰を選ぶか・それとも命を選
ぶか」という輸血拒否問題にまで至るのです。

 このような状態にまで思考コントロールされてしまうと、自分の身内や仕事などよりも組織のほうが大事になってし
まいます。

 エホバの証人と研究をはじめる。エホバの証人と交わる時間が多くなってくる。段々と進歩してくる。たいていはこ
の段階で様々な人間関係が絶たれ、身内より組織が上になり、社会的なつながりより組織とのつながりのほうが大
事になり、最終的には自分の命よりも(または子どもの命よりも)組織が大事になってしまうほどに思考コントロールさ
れてしまうのです。

 しかし実際には「二者択一」ではないのです。よく考えてください。「二つに一つ」ではないのです。他にもいろんな
選択肢があるにもかかわらず、他のものは見えなくしているのですが、「信仰か夫か」「エホバか仕事か」と選択を迫
られる場面では実際には1つしか選べない状態になっているのです。
そうです、正確にはこれは「二者択一」ではありません。実際には「一つ」しか選べない状態にコントロールされている
のです。

 それまでの自分の価値観が、ものみの塔の教えに触れることによってどんどん変わっていく。その過程で人格が変
わり、家族が崩壊しても、もう後戻りできません。これらの重大な決定を全部自己決定でさせているからです。組織
が強制的に本人に代わって決定してきたのではなく、マインドをコントロールして、本人が「そのように決定」するよう
に誘導してきたのです。「自己決定」、これほど強力なものはありません。


感情コントロール
ものみの塔の手法…キーワードは「罪悪感と恐怖・不安」(罪悪感と恐怖・不安の感情を刺激することにより組織
に縛り付ける)

 ものみの塔の教えには必ず、「罪悪感」を持たせたり、「滅びか救いか」という恐怖と不安を与えることがしばしば出
版物の中で強調されています。
そして様々な集会や大会のプログラムなどを通して身に染み込むように教え込まれてしまいます。

 現役時代ある年配の姉妹が言っていました。「兄弟…、わたしは年に一度未信者の姉達に誘われて温泉に浸かり
に行くのですが、その時とても大きな罪悪感に悩まされるのですよ。兄弟達が一生懸命に伝道している時に、自分だ
けこんないい思いをしていて良いのかと…」。
本来、こんな罪悪感は持たなくてもよいものなんですが、ものみの塔信者は持つように感情をコントロールされている
のです。

 他には、「世の人と交わる」 (親族が集まる何かのお祝いの席や同窓会など) ことや「この世的な行動」(服装・髪
型・化粧の仕方・娯楽など)においても罪悪感を持つように仕組まれています。

 また、ものみの塔組織は「信者の対人関係」も完全にコントロールしています。
例えば、「司会者と研究生の関係」「群れの司会者とその成員」「同じ群れの仲間」「奉仕の友」「援助の取り決め」な
どなど。誰と主に時間を過ごすか、誰と誰がどんな関係になるかと、こと細かく取り決めてきます。そうすると抜き差し
ならない強固な人間関係が出来上がり、その関係の中で伝道活動のテクニックを磨いたり、野外で伝道する時間を
より一層増やして仲間意識を強めると共に相互監視の役割も担っているのです。もしこの関係の中で組織や会衆の
批判や愚痴を言おうものなら即座にリーダー格である長老や群れの司会者に報告されてしまい「霊的でない」とか
「霊性が低下している」「肉的」などの烙印が押されてしまいます。そうするとエホバとの関係においての「罪悪感」を
持つことが余儀なくされてしまうのです。

 また「援助する側」「援助される側」という「奉仕の友」や「援助の取り決め」などの人間関係は集会や伝道活動を休
みにくくするシステムであり、多少無理してでも(体調が悪くても、急な用事ができても、相手に迷惑をかけられない…
という感情が働き)「奉仕に出ようか…」となってしまうようです。その結果益々ものみの塔活動にのめり込むようにな
ってしまいます。

 「恐怖や不安」の点について言えば、救われるには集会の出席や伝道活動への参加が不可欠であり、そうでない
とエホバに認められない・是認されない・愛されない・ハルマゲドンの無事通過は保障されないと不安の感情を植え
つけてきます。
また「この世」はサタン悪魔の支配する世界であり、不正や暴力や不道徳がはびこっており、この世に戻るということ
は地獄に堕ちるに匹敵するほどの恐怖感を持たせています。このような手法により信者となった一人一人に「恐怖と
不安」の感情を植えつけているのです。

 加えて真理と正義は自分達が持っているというエリート意識と自分達以外の世の人たちは滅ぼされる定めにあると
いう相手を一種見下す立場。もっと端的に言うと「自分たちは救われる立場、彼らは滅ぼされる立場」という意識の下
に選民意識という優越感により、組織と個人が一体化してしまっています。

 よく未信者の家族が組織のことを批判するとカッとなって過激に怒り出す信者がいますが、それは組織と本人が一
体となっているからです。組織の批判は自分の人格への攻撃と感じるから周りが驚くほどに怒り出すのです。これも
感情コントロールの結果でしょう。

 このように「罪悪感」と「恐怖と不安」という思考パターンを植えつけられると、人は思考停止状態に陥り益々伝道活
動や集会出席などにのめり込むようになっていきます。

情報コントロール
ものみの塔の手法…キーワードは「外部情報の遮断」(あらゆる情報に自由に触れる機会を制限することにより
精神の自由を奪う)

 ひとたびものみの塔の信者になると家の書棚は、それまでの趣味や小説などの「世の本」がほとんどすべて駆逐さ
れ、ものみの塔聖書冊子協会発行の書籍雑誌類で埋め尽くされてしまいます。信者が何かを読むとすれば、それは
まず、協会発行の書籍か「ものみの塔誌」か「目ざめよ誌」などの雑誌類ではないでしょうか。実際現役だった頃の私
は新聞は取っておらず、テレビは家になく、唯一の外部との情報源はラジオしかありませんでしたが、それも忙しす
ぎてほとんど聞く時間がありませんでした。
他の家庭もにたりよったりではないでしょうか。一日中奉仕や集会やその準備に追われているのです。まず物理的
に外部情報を取り入れる時間が非常に少なくなるのです。

 その上に、世のマスコミはサタンの影響下にあるというような圧力がかかります。テレビの情報番組やミニコミ誌な
どにより悪い影響を受けると教えられ、その結果自然と外部情報に疎くなっていくのです。

 さらに協会は批判的な情報に信者が触れないように、テレビを見る時間があれば家族研究をするようにとか、サタ
ンの影響を受けているとか、「悪い交わりになる」とか実に様々な言いがかりとしか思えないようなこじ付けを研究資
料として提供することがしばしばあります。
1999年の11月号の「王国宣教」では「インターネットの使用―その危険に注意してください」と題する記事が掲載さ
れ、インターネットがいかに危険でエホバの証人にとっては不要なものであるかが懇々と説かれています。その後も
同じような内容の記事が何回か出されています。これは明らかな情報コントロールです。

 以上が外部情報の遮断ですが、それ以外に内部情報の遮断もあります。
例えば排斥された人や断絶した人がなぜそうなったのか、その理由や原因を公式に教えることはありません。また
排斥された人や断絶された人とは一切接触を持ってはならず、完全に隔離された状態になります。これは内部情報
の遮断ではないでしょうか。

 さらには、開拓者の集まり、長老の集まり、奉仕委員の集まりなどの、各ステータスの集まりがあり、そこで提供さ
れる情報はそれ以外の人には教えないことになっています。つまり普通の伝道者は開拓者に与えられる情報にはあ
ずかれず、奉仕の僕は長老にだけに与えられる情報からは遮断され、奉仕委員以外の長老は奉仕委員会で提供さ
れる情報には基本的にあずかれないのです。

 外部情報にしろ、内部情報にしろ、情報は私たちの精神を適切に働き続けさせるための非常に重要なものです。健
全な判断をするのに必要な情報を拒まれたら、だれも健全な判断ができなくなってしまいます。
そういう意味でものみの塔宗教は外部情報を遮断することにより、信者一人一人をマインドコントロールしていると感
じるのです。

 実際私が組織を離れたころ、つまり集会や伝道に出なくなり、外部社会と接触する機会が多くなったころにたびた
び感じたことは「自分は2,30年ほど遅れているのではないか」と痛感させられました。つまり「浦島太郎状態」であ
り、この世で見聞きするすべてのことが珍しくあり、かつ新鮮であり感心したものでした。これも長年社会から孤立さ
せられ外部情報から遮断されてきていた結果だと思っています。

以上、取り留めのない話しになってしまいましたが、エホバの証人であることを辞めて、精神が落ち着いてきた頃に
私自身が分かってきた、ものみの塔組織のマインドコントロールについてのレポートでした。


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