《集会・奉仕編》

Q1.なぜ週に三回も集会があるのでしょうか?

 (野 中)
  それは,組織に没頭させる常套手段です。

(諸 星)
  ズバリ組織に縛っておくために週三回の集会があり、そのプログラムは人々から「精神の自由」を奪い、コントロー
ルするためです。
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Q2.集会の出席・予習・割り当てなどで押し潰されそうです。どうしたらよい
でしょうか?

 (野 中)
  これは,個人差があると思いますけれども。とにかく軽く受け流すのが一番と思われます。
出席は,体調不良を訴える。しばらく不調を訴え続け,病院に行かせて貰う。病院は,何らかの病名を付けなければ
ならなります。通常に於いては,精神的なものから来る病名を付けてくれますから,それをつけてくれればしめたもの
で,それを盾に当分は休めます。
予習・割り当て。これは,非常にウザイものでしたが,線引き・文章の切り貼りと割り切る。これが一番でしょう。
何事も根を詰めすぎると,反動が大きいですから,とにかく流す。川の流れのように(笑)

 (諸 星)
  これは簡単です。断ればいいのです。本家のアメリカなどでは、出来ない時はみんな平気で断っています。そして
何も悪びれた様子もありません。十分準備もできないのに割り当てを果たすほうがせっかく集まってきた聴衆に対し
て失礼ではないですか(笑)

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Q3.開拓奉仕に心からの意義が見出せません。なぜでしょうか?

 (野 中)
  それは,精神が毒されていない証拠です。まだ助かる余地はあるでしょう。見出す前に,消える事を強くお奨めいた
します。

 (諸 星)
  正直言いまして、私も十何年間開拓奉仕というものを続けさせてもらいましたが、とうとう「意義」とやらは見出せま
せんでした。「異議」ならたくさん見出しましたが…。なぜなら、本当の意味で地域社会の人々の福祉に役立っていな
いどころか実際には迷惑になっているからです。開拓奉仕は実際は、「組織拡大」のための無報酬の労働であり、
人々のためではなく、組織のために働かされているので意義は感じないのです。現実の開拓者を見れば理解できる
でしょう。道をゆっくりと歩きながらおしゃべりに夢中になっている二人連れの人たち。緊急感を持っていると思います
か?他人の家の玄関の前で夢中でおしゃべりしている開拓者に人々を本当に気遣っていると感じますか?。

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Q4.パートタイマーの仕事で開拓奉仕を続けていて将来大丈夫ですか?

 (野 中)
  悲観すべきでしょう。世の中の人が普通に果たしている義務を果たしていませんからね。
例えば,国民健康保険。おそらく加入していないでしょう。
市民税等の住民税一般。これは,所得が課税最低限に到達していないものですから,非課税になるのですが,行政
のサービスは受けるのに,義務は果たさないという矛盾した状態にあります。

 (諸 星)
  いいえ、大丈夫ではないでしょう。将来路頭に迷ったら組織が食べさせてくれますか?。もしそういう保障があるのな
ら別ですが。ものみの塔の教えは「王国を第一にしていれば必要なものは備えられる」ということでした。しかし現実
には極度の貧困に陥り健康を害し、崩壊していった家庭を身近に数例知っています。問題はそういう家庭を協会が援
助しないことです。そしてさらに問題なのはその責任を「方法が悪い」とか「信仰が足りない」とか「当人に何か問題
があるから祝福が妨げられている」と言って問題をすり替え当人に責任を押し付けることです。何の保証もない開拓
奉仕よりも、ご自分の将来のためにしっかり自活できる、あるいは家族を十分養うことのできる職業に付いたほうが
賢明です。

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Q5.なぜ組織は開拓奉仕を強調するのでしょうか?

 (諸 星)
  答えは明白です。組織に縛り付けておくためです。

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Q6.奉仕ノルマがあるのはなぜですか?またなぜ奉仕報告義務があるので
しょうか?

 (野 中)
  それは,民間企業と同じ手法「数字で見る私の貢献度」という意味合いでしょう。これもまた,組織に没頭させる手
段の1つと捕らえて間違いないと考えます。
報告を強制させる事によって,0では自分に何らかの問題があると,思い込ませる1つの方法ではないでしょうか。
  とりわけ日本人の場合は,世間体を非常に気にする民族ですから,他の人と比べて・・・という風に追い込む効果的
な手法と思います。

 (諸 星)
  時間というのは聖書的には全く根拠がないものですね。また報告義務もありません。強制されるべきものでもあり
ません。奉仕報告というのは神にではなく、組織に対する「忠誠度」の表れですね。そして組織がそれを要求してい
るのです。あくまで自発的なものだとよく言われますが、「じゃぁ、今月は出しません」とでも言えばどのように見られ
ますか?。牧羊訪問されて、聖書を前にして懇々と「諭し」(早く言えば説教)されます。そして「霊的に弱い人」という目
で見られます。ひどい場合には会衆内で無視されることもあります。みんなそれがいやだから毎月「奉仕の数字」を
報告しているのです。結局これも組織に縛り付けておくための1つの手段なのです。

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