《組織実態編》
Q1.なぜ組織を批判することはタブーなのでしょうか。

  (ジョン・マーシャル) 
 組織の統率が取れなくなるから以外の意味はないでしょう。聖書を読んでいると、使徒言行録11章でユダヤ人の
信者がペテロを「異邦人と一緒に食事をしている」と批判していますが、ペテロは彼らを排斥にしたでしょうか?いえ、
彼らにきちんと自分の見た幻を説明しています。批判していた信者も、彼の説明に納得しています。この意味を考え
て下さい。

 (諸 星) 
 本当に謙遜な人あるいは組織は、仮に批判されたら、それが自分に当たっているかどうか検証し、もし正当な批判
なら改めるようにするのではないでしょうか。しかし残念ながらものみの塔組織にはそのような姿勢は見られません。
もし現役の信者が組織あるいは会衆の長老を批判しょうものなら審理問題にされるか少なくとも特権剥奪あるいは無
視状態がとられるでしょう。私が現役時代にMTSを出たばかりの20代前半の長老が自分に対するほんの些細な批
判的な言動を耳に挟んだとたん「不敬罪だ」といきり立っていました。彼の姿はそのまま組織の姿と見て差し支えあ
りません。もちろんすべてが彼のようではなく中には謙遜に耳を傾ける円熟した長老もいましたが、組織を批判すると
いうことは、それが例え根拠のある正当な指摘であるとしても、自分たちが「上なる立場にある」と考えている指導的
立場の者にすれば腹の立つことであり、ひいては権威に傷がつくと考えるからでしょう。

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Q2.エホバの証人の組織は本当に平等で上下の地位や「出世競争」のな
い組織ですか? 

 (ジョン・マーシャル) 
 私が子どものころは、長老の子>奉仕の僕の子>正規開拓者の子>補助開拓者の子>進歩的な研究生の子>
問題ある信者の子という立派なカーストがありました。
長老の子どもは学校で何をしていても後ろ指をさされないのに、最低カーストの私は集中砲火を浴びまくり。父親が
未信者なので悪い証言にならないように必死で勉学に励んでいると、「王国を第一にしていない」と露骨にやられまし
た。
他にも、大学受験が会衆に発覚したために、全特権を剥奪され、排斥者のように扱われて会衆を去っていった先輩を
知っています。彼に私が通った高校での、柔道拒否の証言のテクニック(この先輩の名前を出して、「彼と同じ信仰で
す」と言う)を教わりました。このテクニックで非常にスムーズに柔道拒否の証言ができました。
彼がきちんと柔道を拒否していたのははっきりしています。彼を排斥者のように扱ったのは、本当に信じられません。

 (諸 星) 
 表向きには上下の階級がないと主張していますね。しかし実態はとんでもない階級社会です。上から順に下って行
きましょうか。
統治体→地帯監督→支部委員→地域監督→べテル長老→巡回監督→大会監督→会衆の主宰監督→奉仕監督→
書記→奉仕の僕→開拓者→補助開拓者→伝道者→研究生。
ざっと挙げただけでこれだけあります。しかしもっと厳密に言えばそれぞれのステージで正規開拓者かどうかでさらに
上下の区別ができます。姉妹たちの世界にも主宰監督の妻→平の長老の妻→特別開拓者→元特別開拓者→正規
開拓者→補助開拓者→伝道者→研究生。このような「位階」が存在します。この組織で生きていくということは、この
階級社会の中で生きていくということを意味しているのです。そして少しでも上のステージを目指す者は巡回監督や
主宰監督に露骨におべっかを使ったりライバルと見なす仲間の兄弟を陥れるものまで現れることもあります。実際、
巡回区の長老同士が大会の主導権をめぐって激烈な暗闘を繰り広げ他の長老たちもそれぞれ二派に分かれ派閥を
作り、ボスになりたがっている長老に贈り物とお世辞で取り入ろうとしているのを見て辟易した思い出があります。で
すからエホバの証人の世界は公平で愛に満ち溢れた組織だと考えて入信するなら後でとんでもない後悔をすること
になるでしょう。

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Q3.エホバの証人の組織は本当に「愛ある組織」ですか? 

 (ジョン・マーシャル) 
 "愛ある組織"とは非常に曖昧な表現で、愛があると言えば言えますし、ないと言えば、ないと言えます。ただ、会
衆にとって"役に立たない"と判断された人間にどのように接しているかを考えれば、参考になるのではないでしょう
か。
私の母は体が弱く、集会に行くにも歩いてはいけません。王国会館は同じ町内にあったものの、山のてっぺんにあ
り、冬はタクシーの運転手すら嫌がる場所です。母は仲間の姉妹の車で集会に送ってもらっていたのですが、ある
時、長老は「未信者のご主人がいる場合は、交通事故で輸血拒否の問題が起こったら困るので、自家用車に相乗り
させないように」と集会で指示を出しました。「1回でも集会をさぼるとハルマゲドンで助からないかも知れない」と考え
ているJWにとって、集会に歩いていけない、タクシーも使えない、仲間の車も乗られない、よって集会に行けない、と
言うことが何を意味するか、考えて下さい。

 (諸 星)
 エホバの証人の個々の人の中には本当に愛に富んだ人もおられますが、組織そのものは愛ある組織だとはとても
いえないと思います。例えば「終わりは近い」と散々あおり、わずかな収入だけで開拓奉仕を長年させていても老後
の面倒は一切見ません。あこがれていた仕事をあきらめた人、進学の夢を断たれた人、結婚の機会を奪われた人、
幼い頃に散々ムチをされて精神に傷を負ってしまった人、休む間もなく次から次に集会や伝道や様々な割り当てで
忙しくされ体を壊した人、これらすべては組織の教え、または組織の方針の結果もたらされたものです。信者一人一
人を「人間」として見るのではなく、組織の言いなりになる「ロボット化」にしているのです。そして散々酷使しておいて
いずれボロ雑巾のように使い捨てる。そのような目にあった人を何人も見てきました。果たしてこれが愛ある組織とい
えるでしょうか。私は組織の人の使い方は人間牧場の家畜だったと思っています。

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Q4.「世の人たち」は本当に邪悪でどうしょうもない人たちばかりですか? 

 (ジョン・マーシャル) 
 私が中学3年の時、長老の娘が同じクラスにいました。ある日、JWの伝道のことで、私が嘲笑のネタにされていた
とき、この長老の娘(バプ済み)は一緒にゲラゲラ笑ってました。
高校1年の時、学校の前で聖書を配っているキリスト教会のメンバーがいました。高校生は、聖書をもらっても、大抵
の人間は興味がなく、教卓の上に10冊くらい積み上がっていました。
担任は「ジョン お前クリスチャンだろ? もってけ」って10冊の聖書を渡してきました。イメージしていただければ分
かると思いますが、結構笑えます。実際クラス中が爆笑でした。
その経緯を見ていたクラスメートKが、顔を真っ赤にして担任を殴りかからんばかりの勢いで前に出ていき、「貴様は
ジョンを侮辱した。彼に謝罪すべきだ」と怒鳴り出したんです。クラスメートで彼を羽交い締めにして押さえるのに必死
でした。
このKと長老の娘を比較してください。もし、神さまがいたら、どちらを愛されるか。 

 (諸 星) 
 常に協会の出版物を通してそのように教えられているので、「世の人」と言うだけで嫌悪感のようなものを感じてし
まうのは無理のないことですが、世の人でも「常識のある素晴らしい人」もいれば、ものみの塔の言う「邪悪な人」も
います。それはエホバの証人の中にも「常識のある素晴らしい人」もいればどう贔屓目に見ても「常識がない」あるい
は「非常に困った」人がいるのと同じです。例えば現役のエホバの証人で開拓奉仕の特権を捕らえており会衆内の
評判も上々の信者が刑法犯として逮捕されたという人間を知っています(これは過失による罪ではなく悪質な故意に
よる犯罪)。しかし私はだからといってエホバの証人全員が「邪悪」だとは思いませんし今でも親交のある現役信者と
の交友を断とうとも考えません。

実際わたしは世の友達や知り合いでとても親切で良識を持って誠実に生きている人を何人も知っていますし現役の
エホバの証人の中でもそういう人間を幾人か知っています。
大切なことは組織から刷り込まれた先入観で世の人を見るのではなく、偏見を捨てて公正に見ていただきたいと願
います。

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Q5.教理の変更をなぜ「新しい光」と呼ぶのでしょうか? 

 (ジョン・マーシャル) 
 "新共同訳 コンコルダンス"という索引で聖書的な語源を捜したのですが分かりませんでした。
"Jーばいぶる"という聖書検索ソフトをお持ちのかた、検索して教えて下さい。「新しい光」という言い方に正当な語源
があるのか。

 (諸 星) 
 「新しい光」と呼ぶのは、教理の変更を正当化しかつ権威付けるためです。また「新しい光」と言われると教えを受
ける側にとって新鮮なイメージを感じますが、実際には今までの教えが通用しなくなり変更せざる得なくなっただけの
ことであり、例えばマタイ24:34の「この世代」に関する解釈の変更がその良い例ではないでしょうか。
協会お得意の「言葉のマジック」に騙されてはなりません。「新しい光」といわれると嬉々として受け入れなければな
らない雰囲気がありますが、その背後にはどんな理由や事情が隠されているのか考える必要があるでしょう。「新し
い光」といわれる教理の変更によって現役のエホバの証人は人生を振り回されているのです。

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Q6.協会はなぜ背教者の文章を読むことやインターネットを禁じたりるので
すか? 

 (野 中) 
 協会は,完全で全く非の打ちどころの無いものであるという事を,信じ込ませているものですから,背教者の文章や
ネットに接する事によって,組織に対し疑念等を持つ切欠になることを防ぎたいからです。

 (ジョン・マーシャル) 
 北朝鮮もインターネット禁止です。情報統制の手段です。

 (諸 星) 
 明らかに「情報統制」の一手段ですね。これは一般社会からの孤立化と都合の悪い情報の遮断が目的なのです。
思い出せば王国宣教99年の11月号だったと思いますが、「インターネットの使用―その危険に注意してください」と
いう記事があったと思います。内容を要約すれば「インターネットがいかに危険でクリスチャンにとって近寄ってはなら
ないものかということとエホバの証人は組織の提供する情報だけで十分満足できるはずだ」という内容だったように
思います。これは裏を返せば協会にとってインターネットが大きな脅威になったいる証拠です。もちろんいつものやり
方ではっきり「禁止」とは言いません。「真のクリスチャンは見る必要はありません」というような一人一人の良心に訴
えるような仕方なのですが、これはエホバの証人にすれば「禁止」と言われているのと同じなのです。インターネット
まで「禁止」されている宗教はエホバの証人くらいではないでしょうか。

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Q7.協会はなぜ輸血を禁じるのですか?。また輸血一律禁止から、血液成
分などによって「禁止」と「良心の問題」などと複雑なことを信者に要求して
くるのでしょうか? 

 (ジョン・マーシャル) 
 使徒15章のエルサレム会議の意義を「輸血禁止」と解釈すると、ローマ人の手紙に繰り返し出てくる「信仰による救
い」というテーマを矛盾してきます。使徒15章の「血を避けていなさい」という内容が、どのような経緯で、どういう意
味で出されたのか、考えてみる必要があります。輸血拒否が救われるための必須条件なのか、神さまはどうして輸
血しないと喜ぶのか、輸血程度のことで悲しむような神さまなのか、じっくり自分の頭で考えて下さい。

 (諸 星)
 それは、統治体に絶対的な服従を示す「踏み絵」にすぎないと私は思っています。「輸血をしてはいけない」という聖
書的な根拠は聖書のどこを探してもありません。エホバの証人が信じ込まされているのは聖書の教えではなく「統治
体」の老人たちの気まぐれな教えなのです。ましてや血液成分のこれとこれは良心の問題、これとこれは禁止…、と
いう複雑怪奇なことを冷静に考えればどうして受け入れることができるでしょう。
1950年ころまでは「種痘」が禁止されていたそうです。そのころは輸血禁止の教えはありませんでした。種痘が解禁
されるのと入れ替わりに輸血禁止が打ち出されたそうです。つまるところ命をかけても組織に絶対服従するという「踏
み絵」として利用されているのであり、現役のエホバの証人は聖書的な根拠もないことを命をかけて守らされている
のです。

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Q8.協会がクリスマスや誕生日・お正月やお盆、七夕などのこの世の行事
を禁じているのはなぜですか? 

 (諸 星)
 私が現役の頃は上記の事柄に加え同窓会や自治会活動、同好会活動などに参加することもあまりいい顔をされず
実質的に禁止されていました。「世との交友」「悪い交わり」「王国を第一に」というスローガンが強調されて、エホバ
の証人同士の枠に中に納まっていることが模範的とされていました。
協会が、それらのことを禁止する真の目的は家族や親族・友人や近所の人たちとの交わりを絶つことにあります。つ
まり世の中から孤立させる、そして「組織」にしか自分の居場所はないと思い込ませるための手段なのです。子ども
の誕生日を祝ってやれない、「おめでとう」といってやれない、伝統的な様々な行事に参加できない、これらは本当に
不幸なことだと思います。なぜなら自分や子どもたちのアイデンティティが構築できないからです。

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Q9.協会は本当は「宗教組織」ではなく実は「出版会社」ではないのですか?
 
 (ジョン・マーシャル) 
 うーん。今は多角経営の時代で、造船会社が健康茶を作っていたり、製菓メーカーが子会社で薬を作っていたり、い
ろんなことがあります。宗教法人という営利を目的としない団体であるのに、全国でかなり早いペースで王国会館を
建て続け、不動産を増やし続けています。ものみの塔のバランスシートを見てみたら、お金の流れが分かり、実体は
何を目指しているのかが読みとれそうです。どなたか決算書をもっていませんか?

 (諸 星)
 「ものみの塔聖書冊子協会」は英語では「Watchtower Bible & Tract Society of New York,Inc」となっていま
すよね。「Incorporated」という言葉が使われている通り紛れもなく「株式会社」です。以前の「ものみの塔誌」の記事
に、「ニュージャージーにある大会ホールで年次総会が行われた」という記事が載せられていました。最初は何の大
会なのかなと思っていたのですが、これは株式会社に義務付けられている株主総会のことだったのです。
ここでよく考えていただきたいのですが、「エホバの証人」になるということは当然ものみの塔協会発行の「雑誌・書
籍」の"読者"になるということであり、同時にそれらの"定期購読者"になるという事でもあり、なおかつ"訪問販売員
"にもなるということなのです。そして協会は真のキリスト教と言いながら、世界中に無給で働く熱心なセールスマンを
抱えて毎年莫大な利益を上げている営利法人でもあると思うのです。そこから得られた利益がアメリカの軍事産業の
株式投資に運用されているというのも有名な話です。 

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Q10.以前は有料で配布していた雑誌や書籍はなぜ90年から「完全寄付
制」に変わったのですか? 

  (野 中) 
 個人的には分かりかねるが,諸説が飛び交っていて,おそらく税金関係の問題から逃れる為であると考えられると
いう説が有力。私自身もそれに賛成するものである。

 (ジョン・マーシャル) 
 アメリカ合衆国で「定価をつけて寄付を求めるなら、販売と見なして課税する」という判決が出たためと、聞いていま
すが、元の判決文を見たことがありません。別冊ジュリスト「英米法判例百選」有斐閣には載っていないと思います。
確認していませんが。元の判決文(英文)とその訳文をお持ちの方、ご一報を。

 (諸 星) 
 たしか1990年だったと思います。何の前触れもなく協会からの手紙で突然それまでの「有料販売」からいわゆる「完
全寄付制」に変更されました。あまりの急なため日本支部も各会衆もかなり混乱していたことを覚えています。書籍
の裏表紙に「一冊500円の…」と値段が書いてある部分を隠すためのシールが送られてきて、文書係を中心に徹夜
ですべての書籍類に「目隠しシール」を貼ったり、各自が家に在庫している書籍にも「目隠しシール」を貼るように指
示されていました。要するに信者向けには「より多くの人々に無償で音信を伝えるため」とかなんとか説明していまし
たが、実際のところは関係当局から課税される恐れがでてきたために大急ぎで変更したに過ぎないようです。「カエ
サルのものはカエサルに返しなさい」と遵法精神を教えているのであれば、協会が模範を示して、少なくとも有料の
「定価販売」をしていた期間の税金を納めたらどうでしょうか。といってももう時効ですか?。

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Q11.以前大会などで提供されていた「食事提供」や「喫茶」などのサービス
が90年の最初の頃から順次なくなってきたのは本当に簡素化が理由なの
ですか? 

 (ジョン・マーシャル)
 親戚で食品関係の仕事をしている人がいますが、食中毒を出さないようにするため、厳しいルールがひかれている
そうです。下痢していたら、仕事をさせてもらえない、とか、月一回は寄生虫等の検査があるとか。若い女性なら、羞
恥心で大変だろうなって思います。夏の暑い時期に、素人さんが食品を扱うと、食中毒などの恐れがあります。食事
提供をなくしたのはセキュリティの観点からはいいことだと思います。ただ、朝早く弁当を作って、大会に出席すると、
昼頃まで大丈夫かな、という不安はありますが。3日も4日も参加すると、疲労しますし。
公的な施設を貸していただく場合、外部から食品を持ち込むことを利用規則で禁止している場合があります。(例 札
幌ドーム)「上位の権威に従う」JWが、こーゆー所はルーズなんですよね。

 (諸 星) 
 明らかに課税逃れのためでしょう。

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Q12.「医療上の宣言カード」(通称:輸血拒否カード)は、以前は奉仕会のと
きに一人一人に配布されていたのが、最近では集会終了後に自ら取りに
行くことに変わったのはなぜですか? 

 (諸 星)
 要するに万一組織が訴えられるようなことになっても、あくまで信者の自発的な行為だと言い訳するためです。「輸
血拒否」の教理を掲げ、信者一人一人に命を張らせているにもかかわらず、組織のやっていることは責任逃れのため
の抜け道を設けることなのです。エホバの証人は組織から「これがだめ」と教えられれば純粋に信じてしまいます。そ
れを100%受け入れて決して網の目をくぐるようなことはしません。なのに指導する立場の組織が、そんな小賢しいこ
とをしているのを見て非常に空しくかつ悲しくなったものでした。

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Q13.会衆や長老に見られる悪事や不満を直接手紙で協会に訴えるとどう
なりますか?  

 (野 中) 
 手順を踏まない不当なものと見られ,大きな問題になると思われる。後々,色々な局面で不遇されると思われる。

 (ジョン・マーシャル)
 最近の企業はCS(顧客満足)という概念を大切にしています。ジュースのラベルを見ていると、お客様相談室として
フリーダイヤルの番号が紹介されて、商品に疑問があるときにすぐに対応ができるようにしています。また、近所のス
ーパーに行くと、「お客様の声」というような投書箱があって、「本屋がないので不便に感じている」というようなことを
書いて入れておくと、数ヶ月後に本屋のテナントが入っていたり、お客様のニーズをつかんでご満足いただけるように
努力しています。
しかし、宗教業界においては、CSの概念はないですね。海老名に苦情の手紙を書いたら、確実に「長老に対する不
敬」で排斥でしょうね

 (諸 星) 
 あなたが協会に送った「直訴状」は、そのまま封筒も中身の手紙も、あなたの巡回区の巡回監督ないしはあなたの
会衆の主宰監督に送り返されてきます。協会があなたに直接答えることはまずありません。むしろ、あなたが協会に
何を訴えたのか、どんな不満を持っているのかがすべて彼らに明らかにされます。その結果どんな仕打ち・扱いをさ
れるかは大体想像できますよね。平信徒同士には他の人の悪事を知ったら長老に報告するように勧めておきなが
ら、長老の悪事や不正な振る舞いは協会に訴えても「やぶ蛇」に終わるのがオチなのです。全体主義といわれる社
会主義の国でよく似たことが行われてましたね。

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Q14.「審理委員会」からの呼び出しにも応えず欠席したらどうなりますか? 
 

 (ジョン・マーシャル) 
 審理委員会に呼び出されたことがないので分かりませんが、首に縄を付けて連れていかれるものでもないでしょう

 (諸 星) 
 「審理委員会」からの呼び出しに応えず欠席しても原則、排斥にはなりません。
数年前の長老だけで集まる王国宣教学校では、プログラムの中で、審理委員会を開催した場合に疑惑を持たれて
いる人物が呼び出しに応ぜず出席しない場合はいわゆる「欠席裁判」はしてはならないとの内容のプログラムが扱
われています。かっては「欠席裁判」も行われていたようですが、そのことにより余分な問題も多々発生していたよう
です。
 あなたが本当にこの組織から離れたいと考えているなら仮に何らかの問題で「呼び出し」をされたとしても出席する
責務も義務もありません。当然のことながら法的な拘束力もありません。呼び出しに応じなくても何にもありませんし
排斥にもなりません。そのまま無視して自然消滅を果たしてください。わざわざ排斥にされるために出席する必要は
ありません。そのほうがトラウマも少なくて済みます。ただ、最初に「原則」と述べたのは、全国には変わった長老や
個性やアクの強い長老がいます。その中には少数ながら「欠席裁判はしない」という協会の方針を無視して「排斥」
処置をしたがる者もいるかもしれないからです。
ただし、あなたがこれからも組織に残りたい、エホバの証人としてやっていきたいとお考えなら呼び出しに応じてすべ
てをありのままに話したほうがいいでしょう。

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