なぜ「自然消滅」なのでしょうか。物事を辞める時に、「長い間、お世話になりました…。」
と言えればどんなに良いでしょうか。普通はそのようにして去っていきます。でも、そうはできな
いケースもあるのです。それは「エホバの証人」が「エホバの証人」であることを辞めるときです。
もし、上記のような方法で辞めるとどのように扱われるでしょうか。それはみんなが集まる集会の
席で「○○さんは、自ら断絶されました」と発表されます。
その瞬間以降、親しくしていた人たちや、友人と思っていた人たちから、いっせいに「無視」される
ようになります。一緒に食事もしてもらえず、あらゆる接触や交友も持ってはもらえません。交友
どころか街で会っても挨拶すらしてもらえず、こちらからしても完璧に無視されることになりま
す。いえ、それどころかあたかも「犯罪人」でもあるかのように、わざわざ遠回りされて避けて行
かれることも多々あるのです。
  
  江戸時代に「村八分」という制度がありました。これは「火事と葬式」以外は付き合わない、と
言うものでした。エホバの証人の場合は、「火事や葬式」という非常事態でさえも、無視されるので
す。
ですから「村八分」ではなく「村十分」状態に追い込まれるのです。このような態度を取ることをも
のみの塔協会は信者に「聖書の教え」として強要しているのです。
  
  この「無視」するとはどういうことでしょうか。これは「あなたを人間として認めていない」と
いうことにつながります。こんな態度を取られると不愉快でもあり、また自尊心をひどく傷つけら
れます。そして今まで培ってきた人と人との繋がりや友人関係などを一気に喪失してしまうことに
なるのです。
  
  ですからエホバの証人であることに疲れたと思っても、また教理に疑問を感じるようになって
も、あるいは家庭が崩壊しにっちもさっちもいかなくなっても、精神的に追い詰められてボロボロ
の状態になっていても、重い病気を抱え込んでしまっても、ほとんどの人は集会に出席し、家から
家に伝道し続ける責務を課せられ「長い間、お世話になりました」と言って辞めることができないの
です。
  
  そうであるなら、静かにエホバの証人としての宗教活動を徐々に少なくしていく、そしてやが
て静かに目立たないように消えて交わらなくなる。あるいはある日を境にして何も言わず黙して停
止してしまう。こうすれば非人間的な人権を蹂躙するような「断絶」という厳しい処置を受けずにす
み、一人の人間としての尊厳も保ち、街で出会っても無視されることはまずありません。ですか
ら、「自然消滅」しかないのです。



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